先日地上波でヌードが映ってて感動した話

どうもどうも、りとです。

気がついたら4月が終わっていました。3月末から本当に忙しかった…。

忙しすぎたので、今日はヌードについて語ろうと思います。

4月22日の日曜美術館でヌードやってた。

ぼくは「美の巨人たち」と「日曜美術館」は毎週録画して見てるんですね。

で、4月22日放送の日曜美術館が「ヌードがまとうもの~英国 禁断のコレクション~」というタイトルで、横浜美術館で開催されている展覧会の特集だったんです(横浜行きたい!)

www4.nhk.or.jp

ロダンが弟子で愛人のカミーユと裸で抱き合いながらチューしてることで有名な名作「接吻」を皮切りに、ターナーやミレイのヌード作品について熱く語られる回だったのですが、なんと番組後半「現代作家がいかにヌード作品と向き合ってるか」というテーマのもと、裸婦画を描いてる画家のアトリエを密着取材させてもらってるシーンが映し出されました。

つまり、規制が厳しくなって深夜でも放送されなくなった2018年において、スーパーヒーロータイムの裏で公然とヌードがテレビに映っていたのです。

ぼくは感動した…!

こんな厳しい社会情勢にも関わらず、美術について真剣に取り上げるために、あえてテレビに映し出す判断をするのって、すごく大変だったんじゃないかと思うんです。

でも、やった。

その真摯さを垣間見たような気がして、自分の好きなものが、ちゃんと扱われているように思えてとても嬉しかったのです。

嬉しくてその日は絵筆の調子が良かったです。

ぼくとヌードの出会い

ぼくは高校時代、とある美術大学のオープンキャンパスに参加して「体験授業」で生まれて初めてヌードデッサンをしました。

当然、血気盛んな高校生だったぼくは参加前日までは「ヌードだってよウッヒョ〜!」とか友達と言い合いながらワクワクしてたのですが、いざ描くとなると、下世話な気持ちは一切心に浮かんでこない神聖な時間だったと記憶しています。

…まぁ、受験するかもしれない(というか後に受験した)大学のプロの作家先生たちに後ろで制作を見られながら描くわけですから、ピリッと感は3倍増しくらいになったのだとも思います。

とにかくヌードはアートであると強く心に刻まれた瞬間でした。

あれが、ぼくが美術に対しての向き合い方を考え直した転機と言えるかも知れません。(と書くと、はてなさんの「今週のお題」にも引っ掛けられると今気づきました)

ヌードは面白い

といった具合で、ぼくはヌードのつくる曲線や陰影と、作家さんごとの表現方法の違いとか本当に美しくて面白いと思いながら鑑賞するのですが、一方でやっぱり「ほほう?」と思わせてくれる作品もあるんですね。

古典的な西洋美術では、ヌードは神の姿として描かれることが多いんですね。

「神の姿を模して作られた人間の体は、模造品であるがゆえに完璧ではなく、だから服を着て隠さなければならない。対して、神の体はパーフェクトであるがゆえに隠す必要はない。」

というのが、西洋の神様が裸で描かれる理由なのですが、それをうまく利用して「いやこれ神様なんで!」という衣を纏って「裸が描きたい!」「裸が見たい!」欲求のまま描いたんじゃないかなー?って思う作品もあるんですね。

アレクサンドル・カバネルのヴィーナスさんは絶頂に達してますよね!?」とか思うのです(個人の意見です)

当然、美しさをとことん追求すればこそのエロティシズム、という側面もあると思います。そういう見方もありだと思います。

でも、やっぱ描いてるのは人間で、って思うと、そんな人間臭さをこっそり感じ取るのもぼくのヌードの楽しみ方の1つです。

そして最後にそんなぼくの描いたヌードデッサンを貼ります

 

 

と、思ったんですが画像圧縮したらなんか妙にリアルでエロいのでやめます。

写真に撮るとアート感が薄れてしまうとは、ぼくもまだまだですね…!