「天使と悪魔」を見て神に祈る意味を考えた

医者にかかるたびに「今の時代に生まれてよかった」と思ったりします。なんでかっていうと「歴史的にはつい最近まで痛み止めも抗生物質も存在してなかったんだよなー」て思うからです。

それでも人類には結構むかしから「感情」なんてものが備わってしまってたわけで、ついこないだまで、怪我や病気や事故なんかの、耐え難いような痛みや辛さに人類は歯を食いしばって堪えながら生きたり死んだりしていたのだろうなーなんて考えちゃいます。すごいなご先祖様!

なので「神様」ていうのは、今のぼくらでは耐えられないような痛みや辛さに耐えるためのシステムとして大昔の祖先たちが生みだした側面もあるんじゃなかろうか。軽口叩くな!と叱られるかもしれませんが…!

自分たちではどうにもできないような超越した存在から試練として与えられる痛みや辛さなのだから耐えねばならぬ!みたいな。

ただ、痛み止めや抗生物質、もっと言えば科学が発展していろんなことに耐えなくてよくなった現代人にとっては「神ってなんなのよ?」という疑問が生じたりするわけじゃないですか。そんな疑問について真正面から問題提起してるのがこの映画かな、とか思ったりして観ました。

ダヴィンチコードの続編にあたる作品ですね。ぼくは「アメリ」で有名な女優のオドレイ・トゥトゥさんが好きだったりするのですが「ダヴィンチコードではカーチェイスやったりしてたけど、これには出ないのか!」というちょっとしたがっかりがあったりします。

ラングドン教授は今回も宗教絡みの厄介な事件に巻き込まれるわけなのですが、舞台はヴァチカン。ローマ教皇の逝去から物語が始まります。時期教皇を決める会議がおこなれよーとしてる最中、時期教皇候補者4名が誘拐、イルミナティと名乗る秘密結社から、「こいつら処刑するから」と脅迫状が送られてきます。そこでダヴィンチコードの事件で有名になったラングドン教授に調査協力の依頼がくる、というお話です。

物語が進むと「反物質」という、クリーンエネルギーにも大量殺戮兵器にも使える新エネルギーが物語に絡んできます。

ヴァチカンと最先端科学技術って2つが軸になってるあたりが、めちゃめちゃ考えさせられますね。

でも、ふと世界のニュースを見ると、宗教的な紛争はやっぱあるわけですが、案外「キリスト生誕祭の翌週に八百万の神々にお賽銭を投げ」たり、「どんな宗教的なモニュメントであろうが分け隔てなくスマホ片手にイングレスができる」国民性の日本人はフラットな立場で世界平和に貢献できたりするんじゃなかろうか?とか思ったりしました。


『天使と悪魔』予告編 - YouTube