オールドテロリストが本気出したらマジでやばそうだ

最近の隙間時間を埋めてくれてたのが村上龍著の「オールドテロリスト」という小説でした。

オールド・テロリスト

オールド・テロリスト

 

 この本はジャーナリストのセキグチさんの視点で描かれるのですが、このセキグチさんは「希望の国エクソダス」でも主人公として登場します。

どちらも実際の日本社会とリンクした内容になってて「希望の国エクソダス」は作中の年表でストーリーが大きく動く時期がちょうどぼくが学生で就職活動をしてた頃なんですよね。

で、あの頃感じてた世の中の閉塞感を見事に思い出させてくれるすごい物語でした。そして、そんな時代に中学生が革命を起こす物語でした。それは情熱とか意思とかそんなものじゃなくて、すごくロジカルに「もうこうするしかないっしょ」といったシニカルさがある革命で、そんな革命をバブルから不況へと転落していく日本経済を見てきたジャーナリストのセクグチさんが追っかけていく話で、希望がありつつも、これでいいのかな?と不安も感じさせるような終わりかたをした名作だったと思ってます。

そして今回のオールドテロリストですが「あれから10数年、セキグチさんもアラフィフになりました。」というオープニングです。アラフィフというと、その層の厚さから「将来年金や社会保険料を干上がらせてしまうかもしれない」という世代です。そんなセキグチさんが今回遭遇するのは、セキグチさんの上の世代の「戦争を経験し日本を経済大国に発展させた世代」です。彼らがゆっくりと弱体化していく日本に対して感じていた怒りを静かに爆発させ、テロを起こす物語です。

希望の国エクソダス」では、かなり冒頭の部分で「ああこの物語は人が死なないな」と思わせてくれるシーンがあり、安心して読めたんですよね。紅の豚のオープニングで船がジャックされた時に子供たちが「おじさんたち悪い人?」と聞いて「ああそうだよ」って答えるシーンみたいなやつです。

ですが、今回は人が死ぬ死ぬ。バンバン死ぬ。そして不景気とか希望がないってのがデフォルトになってしまった日本を踏襲してか、なんか鬱な登場人物が次々出てきて話が重いです。でも読ませるんですよねー。なんとかこの鬱な状況から逃れたくて次のページを読んでしまう。そんな物語です。

改めて考えると、「希望の国エクソダス」をさっき書いた通り「不安はないけど、でもこんなラストでいいのかなー?」と思いながら読んだ理由は、セキグチさんが物語に終始関与してなかったからじゃないかな?と思ったんですね。セキグチさんは、いろんな思いを抱きながらも、ジャーナリストとして革命を起こす中学生たちを取材することに徹している。

でも「オールドテロリスト」では後半、セキグチさんは物語に関与するかどうかの決断を迫られるんですよ。だからなんか話が重いのかな、と。そー考えると「オールドテロリスト」の冒頭で、読者は「え!!あのセキグチさんがこんなになっちゃったの!?」という衝撃を受けるのですが、「希望の国エクソダス」のときに物語の本流になにも拘わらなかった結果だったりするのかな?とも思えてきて「この本を通してセキグチさんはどうなるのか!?」とハラハラさせられてしまうわけです。テロよりセキグチさんが気になる。

いやー、一気に読まされました。

未読の方は「希望の国エクソダス」を読んでから是非読んでいただきたいっす。

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)