「あの家に暮らす四人の女」は「女性はかくあるべき」を疑う本かなと思った

あけましておめでとうございました!!

盆休みにもぼやきましたが、年末もやはり結婚すると何かと忙しく、絵を描く時間は絶無だが隙間時間はやけにあるという、読書週間になりますね。今日は「あの家に暮らす四人の女」っていう三浦しをんさんの本を読んで感じたことをだらだら書きます。

あの家に暮らす四人の女

あの家に暮らす四人の女

 

何度もブログで書いているようにぼくは30代です。なので同世代も30代です。

仲のいい同世代には女性もいて、その中には独身もいます。

とても充実した日々を送っている彼女たちを見て、素晴らしいことだと心から思ってますが、それでも脳裏のどこかをうっかりかすめてしまうのが「結婚はどうするのかな?」という余計な御世話です。「女性は結婚するのが幸せ」なんてのも「サラリーマンと専業主婦、子どもは2人。」という都市伝説の産物だとわかっているつもりなんですよ。

それにもかかわらず、余計な御世話が脳裏によぎってしまうのは「慣例」という世の中の謎のパワーのなせる技だな、と思ったりします。

主人公の佐知さんは趣味の刺繍がそのまま仕事になった37歳。毎日チクチクつくった作品を売って生計を立ててる実家暮らしなものだから出会いがない。実家は巨大な洋館で、これはお祖父ちゃんの遺産。莫大な遺産のおかげで仕事に出たことのない母との二人暮らしの洋館に、ひょんなきっかけで意気投合した「おひとりさま」を満喫している雪乃と、雪乃の職場の後輩で恋愛を中心に世界がまわっている多恵美が転がり込んで4人で暮らしているって始まり方です。

 物語は、この4人の日常が淡々と描かれていきます。日常系って最近よく見かけますねー。それだけみんな日常が非日常すぎるんでしょうか。でもこれ「ぼーっと何をするでもなくテレビ見てる時間がすごく贅沢に感じる」瞬間に似てるのかもしれないですね。なので「日常」を扱う物語は、もはや莫大な予算を投じて造られるハリウッドの映画並みに贅沢なコンテンツなのかもしれないですな。

そんなことを感じながら読んでると、後半いろんな物語が起こったりしてちょっと「おっ」と思わされたり。

佐知は、趣味の延長のフリーランス。生きてはいけるが、結婚してないし就職もしてないので、社会人としてイマイチ認知してもらってる自信がない。そして、いまは楽しいけど老後が心配。

お母さんは「お嬢様」として経済的には何不自由なく生きてきたせいで今まで生産的なことをしたことがないし旦那は佐知が小さい頃に失踪。つまり結婚は失敗してる。が、なんか不幸そうではない。

バッチリ就職して趣味も充実しているタフな雪乃は今後もおひとりさまをがっつり満喫しそう。

二十代の多恵美は、いわゆるテレビドラマ的な恋愛をいつも全力で満喫している感じ。

この4人が絡むから、「女性」「社会」「仕事」「承認」「幸福」みたいなキーワードについてあれこれ考えちゃう。社会的には男女平等と言われながら、結婚を急かされ、美しく若くあることを望まれながら、家事育児の主戦力を期待されちゃう。

そういえば興味深かったのが、この正月に奥さんの実家に行って、義母さんと世間話してたら、ぼくのやってる家事育児は全て彼女の中では「手伝い」の範囲にカテゴライズされてるみたいでした。うちは共働きなので「仕事も家事も対等に」ってつもりで、ぼくとしてはかなり家事やってるつもりなんですよね。でも、「手伝い」らしい。

まあ主婦のベテランからしたら、ぼくのやってることは「手伝い」の範囲なのかもしれないし、娘がきちんと主婦やってる方が安心だろうからそのままスルーしましたが、これも「女はかくあるべき」という「慣例」なのかなーなんて思いました。

まー、なにはともあれ、ぼくはとりあえず奥さんと娘の幸せの為に尽力するかな。ということで。