【読書感想】『何者』現代社会を生きる人たちのペルソナ使い分け生活に心を抉られる

こんにちは。

今日は朝井リョウさん著の『何者』の読書感想です。

いやー、やられました。まさかそんなラストの展開が待ってるなんて…。って感じの小説でしたよ。映画にもなったのに読めてないなー、と思っていたのですが、やっと読みました。

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 いろいろエグい

「桐島、部活やめるってよ」といい、この著者さんのお話は身に覚えがある人にとっては本当にエグいですね。 

『何者』は登場人物のそれぞれが他人との関わり方に4つの下記階層を作ってるって構造のお話でした。

①顔を合わせて、互いの表情や言葉からつくる関係の階層
②表面には出さないけど、Twitterにつぶやくことで互いの想いや考えを共有する階層
③心には思うけど、決して表に出さない本音の階層
④表の顔には出さないけど、Twitterの裏アカで吐いちゃう本音の階層

物語の登場人物は、この4つの階層を、全部使っていたり、①と②だけ見せてたり、①しかわからなかったり、といった具合にいろんなグラデーションのある状態で、互いに関係を作っていきます。

しかも就活の中で!

そーなんです。

「就活」っていう、世の中の本音と建前と打算と計算と嫉妬と羨望の縮図が複雑に交錯するタイミングで、現代っ子の上記の複雑な人間関係が絡んでくるっていう、壮絶で、薄ら寒ささえ感じる物語となっていました。

率直な感想としては「今の子は大変だな…」ってとこです。

いくら「ロスジェネ」と哀れまれたり、ドラマ化されたり、ドキュメンタリーになったりしたとしても、空き時間に誰かの家に男ばっかで集まってエロトークしたり、ダビングにダビングを重ねたマッドビデオテープをみんなで見て爆笑してた牧歌的な時代に学生やれてたのは、幸せだったのかもしれないな、と思いました。(女子の前でカッコもつけてましたよ?ちゃんと)

そしてさらに、他人事と言ってられない部分として、LINEやFacebookのおかげで個人が簡単に丸裸になってしまう環境にありながらも、「良き夫、良き父としての顔」「できる社会人ぶってる時の顔」「実はサブカルが大好きな趣味人の顔」などと、上手に顔を使い分けているつもりでいるイイ大人なぼくらにも、「君、本当に大丈夫?本当にうまくやってる?」と、のど元にナイフを突きつけられたかのような恐怖を感じさせてくれる、そんな毒のある物語でした。

映画もエグそうだな…と思って結局見られずにいます。