芸術家は昔から神ってる

ここ数年、ぼくはボーナスの時期にささやかな贅沢として、好きな画家の画集を1冊ずつ買うことを楽しみにしています。ボーナスの時期にだけ買うものなので、吟味に吟味を重ねた1冊をチョイスし、見て楽しんだり、参考にしたり、本棚に飾ってうっとりしたりしています。

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はるか昔のことなのですが、絵に関わらず、芸術全般に携わる人は「今までこの世になかったものを生み出す」力を持った人たちなので「無から有を生み出す」という、神の技に等しい力を持った人として扱われ、崇められていたそうです。ぼくらが、絵を描いたり音楽を奏でたりできる人を無条件に「すごい」と感じるのは、この名残からだそうなんですね。
つまりぼくは、ボーナスの時期に「聖書」を買ってるんだなー、なんて思ったりもします。

先日、いつも聞いてるラジオ番組で、津田大介さんが今年「フェスで政治の話をしたら炎上した」ことについて触れてました。

顛末はこちらとかわかりやすく書かれてますが、ヒエラルキーの視点とかは抜きにして参考にしてみてください。

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津田さんは、この件を「アーティストを下に見ている行為」だと断じていらっしゃいまいた。怒っている人たちは「せっかく現実を忘れて非現実を楽しみに来てるのに、そんな場に現実の話題を持ち出すな!」って想いが働いているわけで、それは言い換えればアーティストに「いいからだまって我々を楽しませろ」と圧力をかけてるに等しい、と論じられたのだとぼくは解釈しました。

ぼくは、表現ってのは言ってしまえば、他人の人権を侵害しない範囲であれば、ある種何をしてもいいものだと思うんです。自分の中の、吐き出さなければどうしようもない情念のようなものを見せられた時、ものすごく感動しますよね。なので受け手は「良い・悪い」ではなく「好く・好かん」で判断して自己完結するのがいいと思うんです。これがごちゃ混ぜになってしまって「俺が好かんものは悪いもの」になっちゃうのは、悲しいなー、と思うんです。

結果として「悪いものには、みんなで攻撃してもよい」となってしまってるんだろう、と。

これは「表現」に対して昔のような権威がなさすぎるせいだと思っていて、なんで権威がないかっていうと、そこには「表現活動やってるのは就職してない不安定なモラトリアムな人たちだ」とか「どうせネットでタダで複製できるものでしょ」とか「金払ってる我々お客様は神様ですから」とか、そんないろんなものが無意識の領域に横たわってるんだろうな、と思ったりします。
そんな景色を、学生の頃は熱病に浮かされるように絵を描きまくってたくせに、大人になった途端「趣味だ」と納得して、就職しちゃった立場から、対岸の火事のように眺めている自分にも寂しさを覚えたりしながら、「表現を生業にしてる側も、受け取る側も、みんな楽しく幸せに平等な交流ができる世の中になれば良いのになー」なんて思った今日この頃です。ええ、仕事からの現実逃避の妄想でした。

そうはいいつつも、こんなご時世にもかかわらず、ボーナスいただけることには感謝です。我物欲ノ権化也。