「運動部に入ると美大に行けません」と言われました。

今週のお題「部活動」

こんにちは。Amazonで安ウマワインを探すことにはまっているりとです。今もほろ酔い気分です(たいていぼくは、夜酔っぱらった状態で上機嫌でブログを書き、翌日冷静になってから一度読み返して投稿しています)

今週のお題が「部活動」ということで、思い出した事を酔った勢いで徒然なるままに書きます。

中学時代はテニス部でした

テニスの王子様」が連載を始める前だった中学時代、テニスは女子のスポーツでした。それでもぼくはテニス部に入部しました。すでにカッコつけたがりでした。

でも、練習は厳しかったです。

ただ、小学校の頃から「運動部は厳しいらしい」といろんなコンテンツから学んでいたので「こんなもんだろう」と思いながら頑張りました。ドッジ弾平なんて、ドッジボールのために人が死んでたりしましたもんね!

顧問の先生はアラサーの爽やか好青年で生徒に人気で、でも指導は厳しくするめっちゃいい人だったのですが、秋ぐらいから部活にあまり顔を出されなくなりました。3年の担任だったんですね。「3年が卒業したら顔だすから!」とよく言ってくれてました。

しかしこの先生、ぼくが2年になった4月に転勤されてしまいました。

代わりに顧問になったのは、中学生には「エロオヤジ」にしか見えない50代くらいのおっさん先生でした。この先生、男子テニス部の顧問だったのに、男子には「なんでサーブが入らんのなら!!」と、どうやったらサーブが入るようになるかという具体的なアドバイスはくれずに怒鳴り散らすくせに、男子テニス部の顧問なのに女子テニス部のコートに行き、女子部員を手取り足取り優しく指導していました。(中2のぼくにはそう見えました)

3年になる時、女子テニス部の顧問の先生に「こんどテニス経験者の先生が転勤してくるよ」と情報を提供してくれました。ぼくらを不憫に思ってくれたのでしょう。優しい先生です。ちなみにその先生は「BASTARD!!」のアビゲイルにそっくりでした。当時BASTARD!!は、破壊神アンスラサクスが実は天使で、ルーシェ・レンレンも実は天使だった、という一番激アツな展開の頃でした。

アビゲイル先生から教わった情報をもとに4月1日の夕方その先生を出待ちし、部員みんなで「顧問になってください!」と直談判しました。しかし、なんとその先生、テニス未経験者でした。あとでアビゲイル先生に聞いたら「間違えちゃった」とのことでした。しかしその先生「テニスの経験はないけどみんなに頼まれたからワシはやる」と言ってくれました。熱血な先生で、ぼくらが卒業した数年後に、うちの学校をテニスの強豪校にしてしまいました。

 

高校は美術部と漫研でした。

高校入学後すぐ、美術の先生に「美大に行きたいです。でもテニスしたいです」と言ったら叱られましたというか、たしなめられました。

美術の大学は受験で実技試験があるから、運動部なんか入ってたら行けないよと言われました。

なのでぼくは美術部と漫研に入りました。ここが面白い学校で、美術部と漫研、部員も顧問もメンバー同じだったんです!例の美術の先生が顧問でした。

ある時「もう一緒の部にしてしまえいいんじゃないですか?」と聞いたら「部費が2倍もらえるでしょ?」と言われました。

なんて頭がいいんだ!!

って思いました。

というわけで、高校時代ぼくはファインアートも漫画も垣根なく目一杯絵を描きました。この頃描いた漫画を実は去年の今頃発掘しまして、スキャンしてブログにアップもしています。

f:id:rito-jh:20160424094353j:plain

今描いてる漫画の更新がない時にでもまた読んでいただけると嬉しいです! 

ritostyle.hatenablog.com

 

実は、今描いてるグランピレパ物語の原型もこの頃描いたのですが、その原稿は処分してるみたいでした。残念!

あ、一応ファインアートも頑張ってましたよ。コンクールの授賞式で東京に初めて行きました。会場が池袋だったので「アニメのハーメルンのバイオリン弾きのエンディングはIKEBUKUROってバンド名だなー」なんて思いながら新幹線に乗ったことを思い出しました。

もうちょっと書こうかとも思いましたが文字数が多くなってきたので、また別の機会にしますね!

では!