【読書感想】『洪水の年 下』人類が滅びた世界に生きる人類が生み出した生物たち

年末に書いた『洪水の年 上』の続きを正月に読み終えましたので、今日はその感想を書こうと思います。

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 核心には触れないように物語の本筋よりは、ぼくが感じたことを書こうと思います。

でも、そのために作中のエピソードにも触れますので、そんな感じのネタバレにお気をつけください。

洪水の年(下)

洪水の年(下)

 

 

上巻ふりかえり

このお話はちょっと未来の地球が舞台となっていて、今より発達したテクノロジーで、遺伝子操作がバンバンに行われた世界が描かれています。

そんな世の中に警鐘を鳴らす「神の庭師たち」というエコロジー教団がいて、リーダーである「アダム1号」は「水なし洪水で人類は滅ぶ」と唱えてるんですね。

で、いろんな巡り合わせで主人公の「トビー」と「レン」はこの教団に身を寄せることになるのですが、2人はそれぞれの理由で別々のタイミングにこの教団を離れます。

その後「水なし洪水」が人類を襲います。

「水なし洪水」というのは「新型ウイルスのパンデミック」で、たまたま外界と隔離された場所にいたトビーとレンは感染を逃れ、2人はそれぞれの場所で「自分以外は人類は滅んだんではないか?」と思いながらそれぞれ隠れていた場所を拠点に食料の備蓄で食いつなぎながら数日を過ごします。

始まるサバイバル

ある時、レンのもとにかつての親友が現れます。

トビーやレンのように、感染を逃れた人類は他にもいたのです。

再開を喜ぶ2人ですが、人の気配に誘われて刑務所に入れられていた凶悪犯罪者集団が2人を襲います。

命からがら逃げ出したレンをトビーが発見します。

トビーとレンは、レンの友人の救出と他の生存者を探すため、安全な拠点をすて、秩序のない弱肉強食の世界に2人で飛び出すことにします。

そこに広がるのは、かつての文明の残骸と、人の死体と、遺伝子操作で生み出された生物たちの世界なんです。

そこで2人を待っているものとは…!?という冒険譚になるのですが、まぁ、なんというかラストは個人的にはちょっと納得いかないというか「え、それで?」って感じだったんですね。

でも、だからこそ、ある種教訓めいたものを感じました。

「こうならないように気をつけなさいね」みたいな。

作中「ライオバム」という、ライオンとウサギを遺伝子結合させた生き物や「モヘアヒツジ」という増毛のため人に移植する用の毛を生やす生き物なんかが登場するんですね。

遺伝子操作、というとぼくら一般人にはまだまだSFな感じがありますが、品種改良とかは馴染みがあります。

品種改良の先には、遺伝子操作あるよな、みたいなことを改めて考えます。

「人の遺伝子を模して作られた人類に似た生き物」なんてのも登場するのですが、彼らは「水なし洪水」には感染しなかったため、人の管理を離れて自由に生活をはじめ、彼らとトビーたちが会話するシーン、なんてのも登場します。

未来の聖書

聖書って過去の聖人たちの物語を綴ったものじゃないですか。

この下巻の淡々としたトビーとレンの描かれ方は、「水なし洪水」を生き延びた人類を描いた、さらに未来の人たち(人以外かも?)が手にする聖書のようなものなのかもなー?なんて思いました。

だったら、先ほど述べた「個人的に納得いかないラスト」も「この本はここで終わりますが、彼らのサバイバルはこれからも続いたのです」みたいな「そのエピソードはまた別の機会に」みたいな風に読めて「だったら納得いくかなー?」なんて思ったのです。

今さらぼくらは「神の庭師たち」みたいな生活はできないです。

でも「神の庭師たち」的な視点は持ってた方がいいかもしれない、そんなことを考えさせられたお話でした。