りとブログ

イラストと読書と雑記のブログです

ぼくの「3.12」

この時期になるとどうしても思い出してしまうコトがあります。

でも、西日本在住で実害のないぼくなんかが語っていいコトなのかどうか判断できず毎年自分の中で悶々としてたのですが、今年は書き綴ってみることにしてみました。

東日本大震災の翌日の思い出です。

ぼくのいつもと変わらない土曜日

2011年3月12日(土)、ぼくは仕事が休みで奥さん仕事だったので、当時1歳だった長男の面倒を見てた日でした。

すごく天気のいい日でした。

息子はママがいないことに文句も言わず、朝ご飯を食べてゴキゲンで遊んでくれてました。

そんな合間にぼくはtwitterを眺めていました。

この頃のTwitterはまだ「ミクシイのリアルタイム版」みたいな雰囲気があって、仲間ウチのつぶやきを眺めるくらいの楽しみ方だったように思います。

それが、この日は朝から延々と被災地の状況がリアルタイムに流れてくるのです。

また、ぼくは普段からラジオをかけているのですが、この日は東北・関東エリアの、どこが停電なのか、どこが通行止なのか、どこに行けば水と食料があるのか、そんな情報を延々と流していました。

Twitterとラジオから流れてくる情報と、目の前の穏やかな光景とのギャップに、ぼくは今まで感じたことのないほどの違和感を覚えていました。

ラジオの情報を聞きながら息子と遊び、ご飯を温めながらTwitterを眺め、おしめをかえる。

自分が今どこにいるのかわからないような、目の前の現実がひどくぼやけて見えるような、そんな感じに苛まれました。

当時ぼくは、息子を昼寝させるのがどうも苦手で、どうしても寝ないときは車に乗せてドライブして寝かせるコトがありました。

この日も「もし息子が昼寝をしてくれなかったら以前から行きたかった隣町の雑貨屋まで行ってみよう」と数日前から考えてて、行くことにしました。

すごく天気のいいドライブ日和な日でした。

車に乗った息子は割とすぐ寝てしまったので、途中のショッピングモールの駐車場で起きるまで待ってから雑貨屋に行き、息子を抱っこして店内をぶらぶらしました。

帰り道、お腹が空いたらしい息子がぐずり始めました。

持って行ってたおやつが足りなかった様子で、コンビニに寄ってバームクーヘンを買い、息子と半分分けして食べました。

その間も、ずっと車でラジオをかけていて、違和感は拭えませんでした。

ラジオを聞くのをやめればいいのに、ラジオを聞かないことが震災を無視していることのような気がして、ずっと聞いていました。

平和で穏やかな「ぼくにとっての日常」と同時進行していた「東日本の非日常」は、そのギャップから鮮烈なイメージになって焼き付いて、以来心から剥がれなくなってしまいました。

「当事者じゃない」

今まで何度かこの話をブログで書こうかと思ったコトがあったのですが、書くのをやめてました。

「当事者じゃないくせに語っていいのか?」って気後れしてたんです。

いくら「違和感を感じた」といっても、その後「募金もしました」と言っても、ぼくは家族が健在で、食べるものも困らず、家も無事で、停電にもなってないのです。

でも、この妙な遠慮や忖度が、今ものすごい勢いで震災を風化させてる原因なのかもしれないなって最近思えてきたんです。

これは震災に限らず、例えば子どもの虐待とか、女性蔑視とか、沖縄の問題とか、何にでも当てはまるものなのかもしれないですよね。

もちろん、賑やかしに参加するだけなら控えた方がいいと思います。

でも、みんなで話題にして、みんなで「自分ごと」にした方がいい問題も、結構あるかもな、なんて思うんです。

せっかくネットで場所を超えてみんなで面白いことや楽しいことを共有できるのだから、いろんな問題もちょっとでも解決に進むようにも使えたら良いのかもな、と思いました。

 

…と、今日はいつもより真面目に書いてみましたが、ぼくは「深刻」と「真剣」は別物だと思ってるので、いつも通り気楽にコメントいただけると嬉しいです!