なんだか次第にコーナー化しつつある「お絵かきに関していただいた質問にお答えします」なお話を今日もしようかな、と思います。
今日も、こちらの記事を書いた時にイシイド マキ (id:comotenasi) さんからコメントでいただいた質問に答えます!
いただいたコメントはこちら
分かりやすい!!!学生の時にこんな先生がいてほしかった…ちなみにー伊藤若冲さんが好きなんですが、かのー派とかりんぱとかとは関係ないんでしょうか?教えて!りと先生! / “狩野派・琳派・土佐派あたりの日本美術史についてぼくなりにまとめます!(後編) - りとブログ” https://t.co/cfmaSTDpNi
— イシイド マキ (@comotenasi) 2019年4月10日
伊藤若冲!
いいですねぇ〜ぼくも大好きです!
では、毎度のごとく絵で食ってるわけはないお絵かきが趣味なリーマンのぼくが、個人的な視点でだらだら語りたいと思います。
若冲さんは若い頃は商人さんです
若冲は江戸中期の絵師で、マキさんのご質問にあった通り、狩野派や琳派が活躍してた時代の絵師です。
伊藤若冲で画像検索すると、琳派っぽい豪華絢爛な絵がたくさん出てきます。
しかし、琳派の系譜に属する絵師ではないんですよね。
若冲は厳密には「職業絵師」ではなかったんです。
彼は京都の青物問屋の跡取りとして生まれました。
きっと小さな頃からお絵かきが好きだったのだとは思うのですが、根が真面目だったのでしょう。早くに父親が亡くなってしまったので、きっちり親の仕事を継いだんですよね。
その後、一生懸命働いて店を大きく大きくしていき、一帯の商店の長みたいになります。現在の、京都錦市場商店街です。
京都行ったらたまに歩くのですが、錦市場って楽しいですよね。ぼくは三条、四条あたりをぶらぶらするのが大好きです。
公式ウェブサイトも若冲仕様です。
バリバリ働いた若冲さんでしたが、40歳の時に「もうオレがいなくても大丈夫だ!」と引退を宣言し、店を弟さんに譲ります。
若冲さんが絵師活動を始めたのは40歳からなんですね。
「人生50年」の時代ですから、当時の40歳は「ちょっと早めの引退」くらいの感覚だったのでしょう。
しかし、若冲さんは健康に恵まれ、その後40年以上の「老後の余生」を絵師として送ることになります。
これが、琳派でも狩野派でもないのに若冲が名画を残せた理由だと思うんですよ。
リタイア後の趣味の絵師
「老後の楽しみ」だったので、好きな絵を好きなように描けたんだと思うんです。
その一方で、早くから店を継ぎ、40歳で譲っても大丈夫なくらい盤石なものにする真面目な人だったから、真剣に「自分が描きたい絵」について研究したんだと思うんです。
本によっては、若冲はいっとき狩野派に弟子入りしたと書かれています。
でも、きっと若冲さんの描きたい絵じゃなかったんでしょうね。
狩野派や琳派といった、師弟関係で絵を継承していく当時の日本絵画の指導法って、「粉本」と言われる過去の名画を弟子が模写し、師匠が添削して技術を習得するものだったんです。
これは「きっちり技術が身につく」メリットと「新しい手法が生まれにくい」デメリットがあるって言われます。
若冲さんには合わなかったのでしょう。
すでに富を築いたご隠居の身である若冲さんは狩野派にすがる必要もなかったというわけです。
そんな若冲さんが参考にしたのは「自然をよく観察し、自然をお手本にしながら絵を描きましょう」みたいなスタンスの中国大陸の絵(「宗元画」といったりします)でした。
伝統的な大和絵の画風に、大陸の「自然をよく観察しましょう」視点をプラスしたのです。
「大和絵について復習したいわん」って方はこちらもどうぞ!
いい意味で「変態」
若冲さんの絵は「写真のなかった時代に一体どうやって描いたんだ!?」ってくらいリアルです。
鶏の絵が多いのですが、庭に放った鶏を一日中観察し、その後絵にしたりしてたそうです。
飽きもせず一日中鶏を眺める…変態だ…!
ちょっと真似して描いてみたのですが、コカトリスが生まれました…!
きっとひたすら自分のペースで観察したいものをしたいだけ観察し、納得いくまで描くことができたんだと思います。
そのうち観察できないものも独自の手法で描きたくなってきた
ひたすら身近なモチーフを写実的に描いてた若冲さんですが、次第に空想の生き物も描くようになります。
きっと欲求が抑えられなかったんでしょうね!
代表作の1つ「鳥獣花木図屏風」には、大陸の動物たちが描かれています。
この愛らしいゾウさん!
しかし、この絵こそが若冲さんの変態たる所以だと思うんですね。
168.7×374.4の画面に1センチ四方の升がびっしりと描かれ、その1つ1つに色が塗られている「ドット絵」になってるんですよ。
「なんでこんな事しようと思ったのか!?」ですよ!
変態だったからとしか思えない!!(いい意味で)
個人的には大陸の動物たちを描いてるので、大陸のシルクロードの先に思いを馳せ、ロマネスクのモザイクをイメージしながら描いたんじゃないかな?とか思ったりします。
ぼくは数年前に実物を見る機会に恵まれたのですが、その変態性に、絵の前から動けなくなりました。
というわけで
もうちょっと語りたいことがあるのですが、長くなってきたのでそろそろ締めますが、若冲は82歳で亡くなってますが、80歳の時の「火事で家が全焼事件」がなければもっと長生きして凄い作品を残したんじゃないか?って気がする絵師さんです。
それでも「40年と老後が長かったこと」と「変態性」で、狩野派や琳派に属することなく独自の世界観を描くことができた絵師だったのではないか。という結論で、マキさんの質問の回答とさせていただきます!