アリとキリギリスって童話があるじゃないですか。
イソップ物語の、誰でも知ってる例のアレです。
先日読んでいた本に書いてあったんですが、ブラジルではアリの生き方よりキリギリスの生き方の方が肯定されるんだそうです。
言われてみれば…!?
改めて物語の大枠を振りかえると、夏の間、冬に備えてせっせと働いて蓄えをしておくアリさんと、そんなアリさんを見てバカにし、夏を謳歌するキリギリスくんという構図の前半パート。
そして一転冬になり、何の蓄えもなく死にかけるキリギリスくんが、十分な蓄えのある暖かいアリさんの家に助けを求めに行き一命を取り留める(野垂れ死ぬバージョンもありましたね)後半パートからできた物語だったかと記憶しています。
子どもの頃は「夏休みの宿題をコツコツやっとかないと、キリギリスくんのように8月の終わりに死ぬよ」という教訓だと解釈してましたが(そしてその教訓は生かされなかった)、今思えば、キリギリスくんの生き方は「確かに全否定できないかもしれないな」と思えてきます。
「夏」という、目に映るものすべてが生命力に満ち溢れ、輝いて見える時期に脇目も振らず働き続けるというのは、土日も家庭も趣味も顧みず働く猛烈サラリーマンを連想させます。
「夏」を「働き盛り」、「冬」を「老後」と人生に置き換えたら「老後のいろんなリスクのために、働ける間は我慢しときましょう」という話にも読めてきて「万が一」を煽ってくる各種保険の広告のようにも思えてきます。
一方、キリギリス君の生き方は、確かに無計画かもしれませんが、「今、ここ」を目一杯楽しみ、夏の生命力と力強さ、美しさを全力で感じ、感動しています。
そういえば彼はヴァイオリンか何か、楽器を持っていましたよね。得られた感動を音楽にし表現するなんて、とても素敵なことです。
「芸術」が「享楽的で刹那主義のアイコンとして使われている」とも解釈できそうですね、これはこれでまたいろんな考察ができそうです!
四季を感じる事なく働く
学生時代、ぼくは意味もなく3月末のふわふわとした陽気にワクワクし、8月末の夏が終わる気配に物悲しくなってました。
あの感覚が、社会に出てからなくなっちゃったんですよねぇ。
毎日が目まぐるしくて、それどころじゃないっていうか。
それって生活は豊かになってってるかもしれませんが、心は貧しくなってるのかもしれません。
そして、心が貧しくなるっていうのは、絵を描く身としては由々しき事態かもしれません。
ブラジルでのアリとキリギリスの解釈は、そんなことを考えさせてくれました。
バランスが大事
とはいえ「今のご時世キリギリスくん的思想が最高っしょ!」とかそういう極端な話でもないですよね。
誰でも「アリさんモード」の日と「キリギリスくんモード」の日があって、バランスが取れてるのが理想なんだと思います。
せっかく洪水のように情報が押し寄せる今のご時世ですから、0か1か、白か黒か、善か悪か、天使か悪魔かと対立ばかりを煽るのではなく、いいとこ取りしながみんな楽しく生きていけたらいいなと思います。
ぼくは天使のような微笑みも、小悪魔のような上目遣いも好物です。