2種類の「ミニマリスト」

先日ラジオを聞いてたら、気になる話が聞こえてきました。

「ミニマリストは物を所持して管理することに対する不安からきてる」

…と、とある識者がおっしゃってて、色々考えてしまったので今日はそんな話をしたいと思います。

今日の話は、ミニマリストの方も思想も批判するつもりはないです。

朝食に、パンを食べるかご飯を食べるか、みたいな話です。

酢豚にパイナップルが入ってても許せるか許せないか、みたいな話です。

さて、

ぼくは整理整頓が好きです。

好きすぎて、整理整頓されてない環境だとストレスを感じるくらいで「ちょっといい加減にしとけよ」と自分に言い聞かせながら生活してるのですが、それでも「自分はミニマリストではないな」と自己分析しています。

ぼくは「お気に入りのもののみが視界に入る生活」がしたいんですね。

なので「触ってときめくものを手元に残しておく」思想のこんまりさんの考え方とかには共感してたりします(できるかどうかは別にして)

確かに「何もない」には全てがあります。

日本美術が好きな身としては、狭い茶室に一輪挿しを置いて満開の花畑に見立てる思想は格好いいと思います。

何もないことで全てを得るってのは、雑念がないことで無限のイマジネーションを得るとか、しがらみから解放されて真の自由を得る、みたいなそんなイメージです。

この「何もないから全てがある」思想については、グラフィックデザイナーの原研哉さんて方の本がすごいです。  

白百 (単行本)

白百 (単行本)

 

 しかし、今回ラジオで聞いた「ものを所持する不安」という考え方はなんか消極的に感じられたんですよね。

これは、例えるなら「せっかく手に入れた一軒家が地震で壊れたらどうしよう?」と不安になるみたいな感じでしょうか。

「買ったものがどこに行ったかわからなくなったらどうしよう?」ってこともあるかもしれません。

「持ってるものが型遅れになって価値が下がったらどうしよう?」って考えもあるかもです。

禅の思想に通づるミニマリストさんはかっこいいなと思うんですが、これらの不安からミニマリストは、ちょっとさみしいなって思ったんです。

後ろ向きなミニマリズム

根底にあるのは「お金や余裕がない」って不安なのかなーと思いました。

スティーブ・ジョブズさんが若い頃ソファーのない部屋で笑ってる写真があるじゃないですか。

あれって「お気に入りのソファーが見つかってない」だけで「ソファーを買うお金がない」ではないんですよね。

ぼくはミニマリストになれませんが、ミニマリズムは素敵だと思います。

ミニマリズムと親和性の高い無印なんかは「これでいいの最高点」を目指すんだと謳ってたと記憶しています。(これも原研哉さんの本で読みました)

これもすごくかっこいい思想だと思うし、だからぼくも無印の家具とか持ってます。

それでも、生活が研ぎ澄まされて行ってのミニマリストと、所持することの諦めからのミニマリストは話が違ってくるよなーと思うし、後者のミニマリストさんが増えていってるのなら、それは本人のせいっていうよりは社会のせいのような気がして、なんとかしていかないといけないんじゃないかなー?なんて思ったんです。

「若者の車ばなれ」を若者本人のせいにするのではなく、社会の問題にしたほうがいいと思うんです。

余計なお世話だってこともわかってるんですけどね、ごめんなさい。 

一方で

実は今のミニマリストブームには「安いから」「お得だから」という謳い文句に踊らされて身重になっちゃった人たちが一斉にみそぎを始めたことも関係してるんだろうな、とも思うんですよ。

先日60代の方と一緒に飲んでて面白い話を聞いたんです。

その方曰く「ぼくらの親世代は戦争で持ち物を一切合切失ってしまったので、とにかく持ってることに憧れた人たちだった。でも逆に、ぼくらの子世代はものを失う経験をしてないので、ものが溢れちゃった。」

とのことなんです。

この話を聞いてると、お金があるとかないとか、シンプルライフがかっこいいとかどうとか、そんな話とは別に、今のミニマリズムブームは、戦後ひたすらものを増やし続けた日本がここらでいちど冷静になってみようとしてるのかもしれないな〜、と思いました。

全て個人的な意見ですけどね!