またすごい小説を読んでしまいました。
中村文則さん著の小説『その道の先に消える』です。
いつも通り、あらすじ紹介程度のネタバレありで書きますので気をつけて欲しいのですが、今回は加えて内容に性的な表現が含まれますので、そちらにもお気をつけください。
緊縛師と縛られる女たちが絡みあうミステリー
物語は「吉川一成」という名前の緊縛師が殺され、遺体が見つかった部屋の現場検証から始まります。
事件を担当することになった「富樫」は現場で「桐田麻衣子」という女の名刺を発見するのですが、麻衣子というのは富樫が想いを寄せている相手で、富樫は咄嗟に名刺を懐に隠してしまいます。
その後、捜査の過程で「伊藤亜美」という女が容疑者として浮上。
富樫は、この女に罪を着せることで麻衣子を助け、麻衣子を自分のものにしようと画策します。
そんな富樫の様子を、同僚の刑事である「葉山」が不審に思い、独自に富樫を張ります。
そんなこととは知らず、自分の筋書き通りに事件を操作しようとする富樫は、徐々にドツボにハマっていって…。
みたいな感じで話が展開していくので、最初はミステリーっぽいのですが、次第に人の深層心理というか、心の闇がテーマになっていくんです。
不自由で手に入る自由
主軸に置かれているのは「緊縛」というか、平たくいうと縄で縛って吊るすプレイです。
ただ、そのプレイの奥に見え隠れする人の性というか業というか、そんなものの深さがすごいなと思いました。
自由を拘束されることは単純に考えると苦痛なのですが、翻すと「自分で考えなくてもいい」という自由を手にすることになるわけなんですね。
麻衣子も亜美も縛られることで、ある種の自由を得ている女たちなんです。
刑事という職につき、これまでまっとうに職務を遂行してきた富樫はそんな麻衣子に、ある種思考を縛られ道化のように闇に落ちていきます。
麻衣子を自分のものにするために、半ば衝動的に、自分の人生を棒に振る行為を繰り返していく富樫の姿は、自由という不自由を体現しているような、そんな思いで読み進めました。
縄から宗教論に展開する
もう1つすごいなって思ったのが、緊縛の縄と日本の神社仏閣のしめ縄を関連づけて話が展開していく点です。
そう考えると、確かに縛られたものは神への貢物だったり、人界と神の世界を隔てるために縄敷いたり、神の宝具にも縄はありますよね。
また、神の存在を身近に感じるために、神が身に受けたとされる苦痛を自分にも強いるという修行もあります。
性行為によってトランス状態になる神の儀式なんてのもありますよね。
宗教画に秘められたエロスについて、考えてしまうような、そんな話なんですよ。
作中には、江戸時代の縄で縛られた罪人の醸す美しさについて語られたりもします。確かに、サブカル的なイラストにも鎖で縛られたものに対する美、みたいなテーマってありますよね。
ムチや鎖を武器に戦うキャラって美系だったりするケースも多い気がします。
緊縛を「いやらしい!」と思考停止し、見えないようにしてしまうだけでは、人間の本質をみることができないような、そんな気さえしてきます。
誰も喜ばないイラストを描いてしまいました。
価値観が広がるのが面白い
…と、ここまで書いておいて、別にぼくは「もっと性についておおらかに語りましょう!」とかそんなことが言いたいわけじゃないんですよ。
こういう、今までと違う価値観で物事が見られるようになる出会いって面白いなーって思うんです。