ぼくのブログでたまに登場するオリキャラに「ジュリア」って女の子がいるんですね。
この子がなぜ金髪なのかについて、これまでぼくは、このブログで語ったことがありません。
なので、ぼくがうっかり死んじゃったりしたら、その後ネットでぼくのイラストを見た人は「太陽のように明るく元気な女の子のイメージを出したかったんじゃないか?」とか「服やスカートの色も合わせて見ると赤黄青になるから作者はモンドリアンの影響を受けてるに違いない!」とかいう説が出てくるかもしれません。
これ、ぼくが思うアートの面白いところのひとつなんですね。
記録や文献にない部分は妄想で埋めるしかなくて、妄想と妄想、事実と妄想を掛け合わせて自分だけの物語をつくって作品を見るとめちゃくちゃ面白い!
今日は「そんな面白さが凝縮された小説を読みました!」ってお話をさせていただこうと思います。
原田マハさん著の小説『風神雷神 Juppiter,Aeolus 』です。
以下、あらすじ紹介程度のネタバレがありますので、すでに読むつもりの方はお気をつけくださいね。
2つの謎を掛け合わせたファンタジー
この小説では、2つの「歴史上の謎」をくっつけて大きなファンタジーを描いています。
あまりにファンタジーすぎてシラけてしまう人もいるんじゃないか?って思うくらいのファンタジーです。
でも、美術館で作品の前に立ってる時に似たような「こんなことあったらいいな〜」って妄想をしているぼくはめっちゃ楽しめました。
アートに限らず歴史の面白いところかもしれませんね。
1つ目の謎は「俵屋宗達」という、江戸時代初期に活躍したとされる絵師です。
宗達は、江戸中期に大活躍し「琳派」の創始者となった「尾形光琳」がリスペクトしていたとされている人なんですね。
光琳は宗達の約100年あとの絵師なので、2人に接点はなかったものの、光琳が宗達の描いた風神雷神図を模写してアレンジして描いて残してることから、光琳がいかに宗達をリスペクトしていたかが窺い知れるってことで、琳派のルーツになってるんです。
そんな宗達についての記録は少なくて、生没すら不明の絵師です。
宗達の人生が、1つ目の謎です。
2つ目の謎は、天正遣欧使節団が「ローマに持っていった屏風絵」です。
「天正遣欧使節団」って学校の歴史の授業で出てきましたっけ?
ぼくは学生時代には全く記憶にありませんでした。
織田信長の命を受け、日本の代表としてローマ教皇のもとに派遣された、九州のキリシタン大名の子息の4人の少年たちとその一行のことなんですね。
彼らは、嵐や大しけ、高熱に疫病、海賊襲撃など様々な困難に見舞われながら、片道だけで3年、その間30名以上の死者を出しながらの大冒険をやってのけた少年たちです。
しかも史実では、彼らを送り出した直後に織田信長は本能寺の変で死んでしまい、その後の豊臣秀吉時代はキリスト教は排斥され、日本は鎖国へと向かっていってるんですね。
そんなこととはつゆ知らず、命がけの冒険の末にローマで大歓迎され、ローマ直伝のキリスト教を「きっと大歓迎されるぞ!」と持ち帰った4人のその後の人生はめっちゃ過酷で、そのことだけでも切ないのですが、ぼく的に興味があるのが「天正遣欧使節団がローマ教皇に献上した屏風絵があったらしい」ってことなんです。
「らしい」ってのは4人が絵をローマ教皇に献上した記録は残ってるのに、その絵がないのだそうです。
しかもこの絵、織田信長が狩野永徳に描かせたものらしいんですよ。
狩野永徳っていうのは、安土城の内装を手掛けた間違いなく当時日本一の絵師です。そんな絵師に描かせてローマ教皇に送った絵って、興味湧きませんか?
2005年くらいにイタリアと日本とで「協力して探しましょう」って話をしてるらしいのですが、いまだに「謎の絵」です。
で、この小説はこの2つの謎を掛け合わせてこんなあらすじを描いてるんです。
「織田信長に才能を見出され、宗達という名前を貰った扇谷の少年が、狩野永徳が命じられたローマ教皇に献上する絵の助手に抜擢され、完成した絵を織田信長の名代としてローマ教皇に届けるため、天正遣欧使節団とともに旅に出る!」
こんな感じです。
宗達と使節団の4人は同世代なので、時に衝突しながらも困難をのりこえ、友情を深めながら、成長していきます。
また、旅を通じて少年宗達は、ヨーロッパ各地でルネサンスの名画に出会っていくんです。
これがねー胸熱なんですよ!
ちなみに、ジュリアがなんで金髪かっていうと「アメリカからやってきた女の子」というオーダーだったので「外国人ってわかりやすいように金髪にしよ!」って思ったのでした。