「批判は悲しみを、要望はサービスを生む。」お、いいこと言った!

自分の記事に自分で言及するっていうか。

前回の記事で「学校がアナログだ、とお嘆きの方が多いが」的なことを書きましたが、実はぼくもそう思う1人なんですよね。

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 子どもたちは日々、学校から大量の紙情報を持って帰ってくるわけですよ。

しかもきょうだいで同じ学校に行ってると、全く同じ内容のものをもらって帰ったりして「あ、この子はきょうだいいるから渡さなくていいですね!」なんて配慮をしてたらめちゃくちゃ煩雑になるのはわかってるのですが「メールで送信」でいいのにな、って思うこととかとても多いです。

そしたらこっちだって、クラウドで夫婦で共有かけて学校行事とか把握できるのに〜。みたいなね。

「確実に手渡す」ということにおいて質量を伴う紙という媒体を、手から手へ渡していくことに対する信頼みたいなのがガッチリと根付いてるなぁってつくづく思います。

合戦中の戦国武将のもとに、鷹か鷲が届けてくれた火急の密書とか、かっこいいですもんね!

最近、この歳になってよく思うんですが、批判と要望って違いますよね。

受け取り側の感性にもよるんですが、大袈裟に表現すれば今回の件に当てはめると「学校のお便りをいつまでも紙で送りやがってクソが!」が批判で「紙ゴミが大量に出るのでメールに添付して送るってのはどうでしょう?」ってのが要望です。

言いたいことは同じなのですが、言い回しで雰囲気はだいぶ違いますよね。

要望には、新しいサービスとか需要の可能性があると思うんです。

学校の先生がメール送るのは大変なんで、メールサービスを利用します。

みたいな流れになりますよね。

保護者はお金を払う必要がありますが便利になるし、委託された業者にはお金が入って、経済が廻ります。

学校の紙媒体が減らないのは、紙でいいですって声の方が多いってことなんだろうな〜、もしくは大きな声になってないんだろうな、と思ってます。

若い頃は職場で安易に要望なんて申し上げたら「嫌われるかな?」と思ってたけど、次第におっさんになってくると、そーいうの大事だなーって思います。

大事なのは「こーなってるからこうしませんか?」と代案も持っていくことなんですよね。

しかもできれば代案は2つ以上がいい。

選んでもらうことで、決定権を渡し、ついでに責任も負ってもらうというわけです。

持ってった案が全部却下されても「そっすか!ではまた良い案ができたら持ってきますね!」っていうのがカッコいい部下だと思ってます。

「何を単純なことを!」と思われるかもしれませんが、Twitterとか短文になりがちなので、ついつい言い回しがキツくなってて、こういうところがすっぽり抜け落ちてるなーって感じることが多いな〜って思うんです。

「部下」って単語で思い出したんですが、仕事してない上司とか先輩って一括りにできなくて、本当に仕事してない人と、手は止まってる代わりに視野が広くて、ぼくらより高い視点で横や外を見渡してる人といるんですよね。

多分ぼくは、後者の上司に恵まれてるんだろうな〜って思います。

安心して上に提案できる環境だったことは、本当に幸運だと思っています。

実は先日、「あなたのその雰囲気のなせる技ですよ」と言ってもらえたんですが、それはそーいう人間に育ててもらえた環境があったということで、やっぱありがたいことだと思うんです。