ぼくも自分が楽しむために創作をしてる

いつも示唆に富んだ内容で、いろんなことを考えさせてくれたり気づきを与えてくださるゆきにー (id:yuki_2021)さんが作家と承認欲求について興味深い考察をされてました。

www.ituki-yu2.net

感想や反応がもらえなくても創作活動はできるかどうか?というお話だと解釈しました。

言及されている「感想もらえないから創作をやめる方」のお話は、ちょっとびっくりでした。

それは「儲からないからやめる」という商売人の言葉のようで、職業作家ならそういうこともあると思うんですがそれでも「仕事としてはやめるけど趣味では続けたい」と思いそうなもので、元々趣味でやってるならなんでやめる宣言をするのだろう?と思ってしまったわけです。

うまく表現できない思いや願いや妄想に絵やカタチや文章や音楽やその他諸々のメディアを使って吐き出してスッキリするのが創作で、他者がどうかは二の次だと思ってたんです。

ぼくが通っていた美術の大学には、そーいうのの典型みたいな友人知人先輩後輩がゴロゴロいて、いつもニコニコしている穏やかな人が全く意味不明な作品を黙々と楽しそうに制作してたりして、どっちかというと、きれいでわかりやすい(そしてそれ以上でもそれ以下でもない)作品が得意だったぼくにはひたすらかっこよく、とにかく羨ましかったのを覚えています。

と、そんなことを思うと同時に、わざわざブログを使ってネット上に放出してるからには誰かに見てもらいたい欲求がそこにはあるわけで、この問題はなかなかに業が深いなと思いました。

結論いうとぼくにとってこれは「もらえなくてもいいけどもらえるとボーナスみたいに嬉しい」って感じかもしれません。

ぼくらはタイミング的に10代の頃はネットが普及してなかったので、クラスとか顔も知ってる特定のメンバーの中で「上手いな〜」とか「面白いな〜」とか言われて嬉しかったことを基盤に創作をスタートさせていて、その後20代くらいから徐々にネットにも手を出し始めた世代でした。

もともとが、小さな身内で楽しむとこからのスタートなんですよね。

これって、PV伸びなくてもブログ楽しめるマインドとも通じてますね。

しかし今の若い方は「創作はじめよう!」って思った瞬間から主戦場がネットだったりすることも珍しくないでしょうし、ひょっとしたら、友達がネットでめっちゃ評価されてるのを見て「自分もやってみよう!」って創作を始めるパターンもありそうですね。

そうなるとぼくらとは創作と評価の相対関係が全く違うのかもしれません。

大きく「世代の違い」みたいに括ってしまうのもよくないかもしれませんが、なかなかに興味深いです。

米津玄師さんの音楽には、影響を受けた音楽の系譜みたいなものがはっきりと感じられず、それはネットを使っていろんな時代のいろんなジャンルの曲を聴きまくってることが理由で、結果として全く新しいタイプの音楽を作ってると評価されてるのを読んだことがあります。

今の時代、創作との付き合い方はきっとぼくがイメージしてるどころの騒ぎじゃないくらい複雑になってるんだろうなぁ〜と思いました。

そりゃびっくりするような表現に出会うこともあれば、びっくりするような理由で創作をやめる人も出てくるってもんなんでしょう。

そんなことをつらつらと考えていた今日この頃、ぼくもついにiPadでのお絵描きデビューを果たしました。

ぼくはかつて液タブデビューを果たしたものの目と肩が崩壊しかけて板タブに戻ったという十字架を背負っています。

また、iPadはぼくにとっては仕事の手帳で、仕事のプレゼンとかでうっかり誤作動でイラストがばいーんと表示されたら大惨事だと思ってて避けてたんですが、そろそろ挑戦しても良いかな?と思うようになってきました。

そんなぼくはとりあえず、次男にご飯を食べさせながら彼が美味しそうに食べていた納豆ご飯をスケッチしてみました。

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ぼくは何描いてても楽しくて、どこでも描けるiPadはスケッチにはとても良いかもしれないですね。

楽しいです。