ベルトを切りすぎた

仕事用のベルトを新調しました。

もやしの星からやってきたぼくは、たいていベルトが余るので良い長さになるよういつも切るのですが、どうやら切りすぎたみたいです。

やっちまった。

男性あるあるです。

ベルトを切るのなんて初体験でもないはずなのに、「これ切りすぎたらヒサンよなぁ〜」とか思いながら切ったはずなのに、どうしてそんなことになってしまったのか、自分でも全く説明できません。

ハサミを入れる瞬間に、過去にベルトを切りすぎた男たちの怨霊がぼくに乗りうつって、手を動かさせたのかもしれません。

5000円のベルト。

たかが5000円。

されど5000円。

中古のゲームが一本買えると思ったら莫大な予算です。

40歳の大人がお金の価値をゲームの価格と比較して実感するあたりがまたアレですが。

もぉホント、ものの弾みで、としか言いようがない。

でも、人はたまに、そんなことをしてしまうのかもしれません。

ベルトを切りすぎてしまう過ちの延長線上には、たとえばアクセルを踏みすぎて事故るとか、2人の想いが暴走した末での不倫とか、そういうものの入り口も待ち構えているのかもしれません。

過失ってやつですね。

信用や、社会的地位を失うほどのうっかりはしたことないんですが、日常の至る所で小さな過失を繰り返していて、なんだかホントやだなって思います。

車をうっかり擦ったりとか、

大事なカップを割ったりとか、

言わなくてもいい一言言ってだれかを怒らせたりとか、

どうですか?

思い当たる節ありますよね?

その時の気持ちが蘇ってきました?

ぼくたち今、感情を共有してますね?

ふふ。

今抱いたこの気持ちって、全てを取りこぼさず、一切の損をすることなく、つねに人生丸儲けでいたいっていうことなのかな?って思うんです。

「マシュマロ実験」ってあるじゃないですか。

スタンフォード大学で昔行われた実験で、4歳の子にマシュマロを持たせて「マシュマロを食べるのを15分我慢したら、あとでもう一つあげる」って言って子どもを15分間1人にさせてみるってやつです。

15分我慢すればマシュマロをもう一個もらえてお得なんだけど、半数以上の子どもは我慢できずにすぐ食べちゃった。って結果なんですが、被験者の子どもたちを追跡調査した結果、我慢した子たちは成績がとても優秀な大学生になってたってお話なんですね。

この話を初めて聞いた時は「将来親になったらマシュマロを我慢できるような子を育てよう」って思ったものです。

先を見据えて得して生きていけるような、目先のものに惑わされて損して生きていかないような。

でも、自分がベルトを切り損ねるようなうっかりおじさんになってしまった今振り返ると、世の中ってやつはマシュマロを我慢してる間にうっかり机から落っことしてしまったり、もう一個貰う前にマシュマロもらったことをうっかり忘れてしまったり、ひどいときは「お前のものは俺のもの」理論のやつとうっかり関係を築いててソイツに食われたりすることもあるわけです。

なので「食べたい」って思った時に食べて「これ美味しいなぁ」って心から味わって、今ある幸せを大事にできたりすることも重要なことなんじゃないかな?人それぞれでいいんじゃないかな?

なんて思うようになりました。

そー思うのは、ぼくがうっかり人間だからかな?

あ、うっかり人間っていうのは、うっかりした人間って意味で、うっかり人間になってしまったって意味ではないですよ?

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そして、ベルトのおっさんではなく、ベルト型のチョーカーをしたスチームパンクなおねーさまを描こうとしたんですが、なんかうっかり女王様っぽくなってしまいました。