朝職場とかで「おはようございます!」って挨拶したのに、返してもらえないことってあるじゃないですか。
そんなとき「せっかく挨拶したのに…」ってげんなりしたりしてなんか気分が落ちることありますよね。
「こっちだけ挨拶してバカみたい」とか「ププ…あいつシカトされてやんの!って周りの人に思われた!?」とかそんなことまで思い至って人間不信になりかけたりすることもあると思うんです。
でも最近、これって結局自分が相手に勝手に期待してるだけだったのかもなーって思うようになってきました。
勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に逆恨みしてるような。
なので「おはようございます!って挨拶したおれ今日もなんて爽やかさん!」って勝手に悦に浸って自己完結することにしたんです。
そーすると、返事が返ってくるかどうかの前に、自分の中で既に挨拶したことに対するるリターンがあって、返事が帰ってきたらさらにボーナスポイント!みたいな感じになりました。
こう考えられるようになってからというもの、今までよりさらに気楽に挨拶ができるようになった気がして、根はコミュ障なぼくですが「常に外交の門戸は開いてますよ」って演出はできてる気がするなーって思える今日この頃です。
…なんてことを下書きに書いて放置して発酵させてたら、先日読んだ『ケーキの切れない非行少年たち』にも似たようなことが書いたありました。
詳しくは是非読んでいただきたいんですが「バイク欲しいんだけどお金ないから盗むしかない」とか「相手が挨拶返さないのは俺のことが嫌いだからに違いない」とか「女は本当は襲われたいに違いない」とか、犯罪を起こす少年少女たちには少なからず思い込みが強い傾向があって、他の選択肢を考える想像力が足りないのでそういった部分を育ててやらないことには更生は始まらないんだそうです。
挨拶しても返事がないのは、聞こえなかっただけかもしれないし、考え事してただけかもしれません。ひょっとしたら「おれに対してじゃなかったかもしれないのに返事したら自意識過剰に思われるかもしれない!」って相手が思ってるかもしれませんもんね。
「相手の気持ちになって考えてみろ!」って言われても相手の気持ちがさっぱりわからないし、わからないで困ってるのに「もっと真面目にやれ!」って言われるパターンのやつですね。
そういえば、大学時代に履修した心理学の講義でも聞いたことありました。
すっかり忘れてたぞ!
というわけで、改めて思うのは、人にはやっぱ想像力が必要で、豊かな想像力を育てるのはやはり「素晴らしい物語」ですよこれは。
あんまり仕事や勉強に追われすぎて「娯楽なんてもってのほか」みたいな雰囲気になったら、みんな想像力が欠如して他者の物語が想像できなくなってしまうんじゃないかな?
小説読むのは時間の無駄なんかじゃないってわけです。
あー学生時代勉強サボって創作に触れてて良かった!