ガレージで分断について考える

最近リビングを諦めたことで有名なぼくですが、日々黙々と書斎エリアの育成に励んでいるおかげでもはや「私物へのアクセスが容易でありつつ、視界に入ってくる情報を最小限にする収納」というタイトルで論文が書けそうな勢いです。

これに対して、今まで最前線で決死の抵抗を続けていたリビングは完全に均衡を失い、足の踏み場が怪しいほどになってきてしまいました。

でも「まあおれには書斎エリアがあるし、いっか!」と思っているので気にすることもなくなってしまったのですが、その気持ちというか反動がさらに書斎エリアを自分好みにしていく原動力となり、どんどん居心地が良くなってしまって、なんだか引きこもりがちな今日この頃です。

で思ったんですが、これはもはや書斎エリアというかガレージです。

このことに気がついたとき、なんかこう、込み上げてくるものがありました。

そーなんですよ。

ぼくガレージにも憧れがあったんです。

あの、何かが生み出されていきそうな感じ。

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いろんな道具が整然と並んで、見せる収納の極地みたいな佇まい!

ぼくのものじゃない荷物も、ガレージを演出するオブジェと思えばこの部屋に必要不可欠なパーツのように見えてきます。

というわけで今後は「ガレージ風」をテーマに部屋を整えていこうと思います。

やばいっすね。ガレージの夢、叶っちゃう!

とか思っていると、いよいよやりたいことが増えていって最近寝るのがもったいなくなって来ました。

今年は「目標7時間睡眠」を掲げて平均すると6時間半は寝るようになったおかげですこぶる体調が良くなったというのに、これでは頭痛の日々に逆戻りです。

そーならないように、うまく自分の気持ちに折り合いをつけて、ちょっとずつ育てていけるようにしたいなと思います。

バランス取るのって本当難しいですね。

もうすぐ正月休みで、家にいる時間も増えるというのに、ガレージに籠るばかりではいかんです。

さて、そんなマイハウス事情に関するお話を展開している最近なのですが、興味深いコメントをいただくことがありまして「りとハウスは広いのでは?」というご意見です。

残念ながら、自分の見立てでは平均的な坪数というか、むしろ狭いくらいだと周囲の家や地元の友人知人の家を見ていて思います。

となるとこれは、地域の差なのかなー?という気がしてきまして、普段フジテレビなんかを見ながら「都会にはいろんなものがあって羨ましいなぁ」って思う対岸にある地方のメリットなのでしょうね。

地価が安いが、最寄り駅は朝だけ1時間に3本、日中は2時間に1本です。

どっちがいいとか悪いとではなく、こういう差が見えるというか気付けるのってやっぱネットの面白いとこですよね。

「こちらはこうなんですが、そちらはそうなんですかー!」みたいな。

そうやって視野が広がるのってすごく良いことだと思います。

なのに、せっかくそうやって見えた違いについて、「おれと違うからお前は敵だ!」みたいになるのってもったいないですよね。

今年は「分断」って言葉が市民権を得たなーって思います。

今までの人生でそんなに使いませんでしたよね、「分断」なんて。

ぼくら世代の物語では、ライバルはたいてい戦った後は仲間になってました。

悟空の仲間なんてほとんど元敵でしたし、今やってるダイの大冒険だってこれからどんどん頼もしい仲間が参入していきますよね。

いつの間にこんなことになったんだろうなぁ〜って不思議に思います。

それとももともと燻ってたのかしら?

でも、みんな違ってみんないいってみんな習いましたよね。

互いの違いなんて酒の肴くらいにしてみんなで楽しく生きて行けたらいいなと思います。

と、東京の美術展のチラシを見ながら自分に言い聞かせています。