3WAYバッグと過ごした1年

ぼくは毎日じゃないんですが自転車通勤をしています。

なので通勤用のリュックが必要になるんですが、あんまりカジュアルすぎるのもアレだな〜と思ったり、とはいえ安っぽいのも持ちたくないな、みたいな見栄もあって、いつも仕事着を買う店でいい感じの3WAYバッグを買ったんです。

トート・ショルダー・リュックと3パターンの使い方ができるバッグで、このテのバッグってそれぞれの使い方用の持ち手がつくので10徳ナイフみたいな、千手観音…とまではいわないけど阿修羅像みたいな印象になりがちです。

そんな中でぼくの選んだ3WAYバッグはわりとスッキリしていて、それは各種の持ち手が脱着可能だったり、結合部分が上手に隠せるデザインになっていたからなんですね。

しかし、買って少し経った頃、リュックとして使うときの肩紐が裂けて、中のワタが飛び出してしまったのです。

ひょっとしたら、ゴテゴテしないスッキリとしたデザインを保つために、耐久性を犠牲にしてたのかもしれません。

あのワタの中には胞子が含まれていて、風に乗って飛んでいった先で新しいバッグが咲くのかもしれません。

そんなことを考えながら、まだ使えたし、何よりコロナで出張がほとんどなくなってしまって他者にリュック姿を披露する機会もほぼなかったので、そのまま使ってたのですが、いよいよ閉めたファスナーが気づいたら空いてたりするようになったので先日買い替えました。

思えば1年近く、わた胞子を振り撒きながら使いました。

そんなぼくは今、新しく買ったリュックで通勤しています。

お題「#この1年の変化

今使っているのは、「スーツと同じ素材」がウリの「大人のためのリュック」と店員さんに勧められた逸品です。

リュックとして以外は使えない、生涯をリュックとして生きることを決められたリュックです。

使ってみて感じたのですが、長時間背負っていても、前のバッグに比べて肩が痛くないんですよね。

やはり、リュックとしての宿命を背負って、小さな頃からリュックとして生きていくための英才教育を受けたリュックは違うなって思いました。

また、リュックでありながら無駄のないデザインのため、富士山に登って100人の友達とおにぎり食べそうなカジュアル感もありません。

高級フレンチの店に背負って入っても違和感がないくらいです。

ひょっとしたら、高級フレンチで支払う額くらいの値段の3WAYバッグなら、肩紐から綿胞子を振り撒くこともなかったのかも知れませんが、いかんせんそんなお金があったら先に新しいMacが欲しくなってしまう性分なので困ったものです。

「オールインワンのカバンがあれば朝どのカバンにしようか考える負担が減るな」と思って買った3WAYバッグでしたが、当分はその日の服装や行動でカバンを持ち変える楽しみを堪能しようかなって思います。

ところで、カバンといえば、ぼくは子どもの頃NHK教育でやってた「ばくさんのかばん」という番組で、ばくさんの相棒だったビーバーの歌う「ぼくはビーバー なんだってビーバー おまけにビーバー」って歌が折に触れて定期的に脳内でリフレインします。

番組内容などはよく覚えていないのですが、このメロディだけが強烈に心に刻まれていて、将来、年老いてこの世から旅立つ今際の際にも脳内再生されてそうでちょっと心配です。

f:id:rito-jh:20210307155914p:plain