桃太郎と価値観の変化の話

今日はちょっとだけアレな話を書くので「エッチなのはいけないと思います!」って方はお気をつけください。

「桃太郎」っていう、とても有名な物語があるじゃないですか。

彼は桃から産まれた私生児という生い立ちを背負っているわけですが、ホントはどんぶらこどんぶらこと流れてきた神秘の桃を半分こして食べた老夫婦が若返ってしまい、若い2人の沸る情熱で産まれたってのがもとのストーリーって説がありますよね。

でもこれだと「何で若返ると子どもがうまれるのー?」という純真無垢な少年少女にどう説明したらいいかわからないからという理由で、近代文学者によって桃から産まれた設定になったというわけです。

なんとなく「遊郭編なんて銘打たれたら子どもに遊郭って何なの?って聞かれたとき困るだろがー!」という最近のネットの声に似ていて「歴史は繰り返すなぁ」なんて思います。

面白いもので、江戸時代の浮世絵の画集とか眺めてたら、小さな子どもの横で両親が励んでるシーンを描いた絵とかふつーに出てきます。

近代化の波に乗って、日常から秘め事になった瞬間がどこかにあったんだろうなって思います。

こういったことの積み重ねで、望まぬ妊娠出産が減るならそれは良いことだと思うし、でも一方で「正しい知識を教えずまるっと隠してしまうとは何事だ?」なんて声もあると思うので難しいところですね。

「恥ずかしいこと」の尺度は世の流れであれこれ変わりますよね。

ぼくが子どもの頃は漫画・アニメオタクは恥ずかしいものでしたが、今は昔ほどじゃないように思います。

パスタを食べるときにスプーンの上でフォークをクルクルってやるのも、なんかかっこいいこととされていましたが、あれは子どもの食べ方なんですよね。

ワイングラスはワインが手の温度で味が変わらないようにグラスの脚を持って飲むものだと言われてたら「あれはソムリエしかしない飲み方ですよ」なんて声もあります。

もう、何が何やらです。

それもこれも、いろんな文化の面白いものを貪欲に取り込んでる日本のいいところなのかもしれないし悪いところかもしれません。

日本が真ん中にくる世界地図をくるっと45度回転させて北欧が上になるようにして見ると、世界地図の左半分の国の文化が全部日本に流れてくるピンボールの盤面みたいに見えてくる、という話をグラフィックデザイナーの原研哉さんが著書で書かれてて、ぼくはこの考え方がすごく好きです。

これだけの国の文化が、ネットを介して高速で入ってきたら、そりゃ目まぐるしいわなーって思います。

いつかネットでハンドルネームを名乗って身分隠してるのも恥ずかしいことになったりして。

そうなったら、ぼくはもうこのブログをやめるかもしれません。

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