「むかし、マスクなんかしなくてよかった時代があってね…。」

4月になりましたね。

ということで毎月恒例の、ぼくが扉絵を描かせていただいてるApple kyoさんとこに送らせていただいた今月のイラストのご紹介です。

f:id:rito-jh:20210402050449p:plain

Apple kyoのマスコットキャラの1人であるフォニィーちゃんです。

最近練習がてら、Apple Kyoの3人娘の落書きを量産していますが、初見の方が見られたら「なんのキャラだ?」って思われますよねぇこれ…。

まぁ個人の雑記ブログですし、それでも良いかと思っています。

自分でデザインしたキャラを動かすのは楽しいものです。

そういえば、青春時代には地元で同人なんかもやっていたぼくですが、サークル参加するのはオリジナルオンリーイベントの方が多かったです。

版権もたまにやってましたが、比較するとこぢんまりとしてる代わりに和気藹々としているっていうか、なんかそんな印象があったなぁ、なんて思い出します。

いまはどうなんですかね?

うっかり仕事で顔合わせる人にイベント会場で会ったら軽く死ねるので行かなくなりましたが、そーいった意味でもネットはありがたい場所です。

マスクしてない女の子が楽しそうにしてるのも、ネットをはじめとしたモニターの中だけになってきましたね。

あ、いやべつに女の子に限定しなくても良いのですが、ぼくのイラストって女の子描いた方が評判がいいので嬉しくなって描いています。

話が脱線してしまいましたが、そんなわけでマスクしてない人が往来しているのはもはや物語の中だけみたいになってきました。

ぼくらはまだ、マスクしてなかった頃の日々が鮮明に脳裏に焼き付いているので違和感を感じませんが、このまま今の常時マスク状態が続けば、いずれマスクしてないキャラクターたちが行き来する物語は今の異世界モノくらいのファンタジーになるかもしれません。

あ、でも、そーいえばもともとお兄ちゃんのことが大好きな妹とか、小さな頃から家族ぐるみのお隣さん家の幼馴染の美少女とか、そういうのもファンタジーでしたね。

以前もこのブログで取り上げたことがあるのですが『パンツが見える。』という本があります。

パンツが見える。 羞恥心の現代史 (朝日選書)

パンツが見える。 羞恥心の現代史 (朝日選書)

 

要約すると「パンツはもともと履いてないのが恥ずかしいから履くようになったものなのに、今やパンツすら見られたら恥ずかしいものになった。」という、日本人とパンツの歴史について真面目に紐解いてる学術書なのですが、このままマスク暮らしが長引けば「公衆の面前で口元晒すのは恥ずかしいこと」になりかねません。

「むかし、マスクをしなくても良い時代があったのじゃよ。」

「えー?昔の人って、はしたなーい!」

みたいな会話を孫とする日が来ないともかぎらないわけです。

勝負下着ならぬ、勝負リップや勝負ホワイトニングみたいなものも生まれるかもしれませんね。

半分冗談ですが半分本気で、今わりと時代の大きな転換点で、今後どうなっていくのか、期待と不安を持って世の中眺めています。

そういえば、同人やってた当時、サークル参加する告知をホームページに載せる際に、「勝負下着を履いておいで」とか書いてたのは今となっては良い思い出です。