硯で墨を磨る

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ブログではこんなイラストばかり載せてるぼくですが、アナログでは日本画なんかを嗜んでいたりするのは長いこと読者でいてくださってる方には周知のことと思います。

そちらの関係者に美少女イラスト描いてることがバレたらそれは羞恥です。

日本画には「骨描き」といって、漫画で言うとペン入れみたいな、線画を清書する工程があります。

そのため、習字はしないぼくですが硯と墨なんかが部屋に置いてあったりして、骨描きをするときは墨の匂いに包まれたりしています。

墨を磨ってる時って、なんか瞑想に近いものがあります。

…って、そもそもぼくには瞑想をする習慣はないのですが、心が落ち着いていって、いろんなことを心の中で反芻するような、そんな時間です。

あの独特の匂いがいいのかもしれません。

命のやり取りをする剣豪が書を嗜むのもわかるような気がします。

それまでの戦いを振り返り、次の戦いに向けて精神を集中させる。

そして強敵たちへ思いを馳せる。

ぼくは剣豪ではないので、下書きのまま放置している記事について振り返り、思いを馳せてみようかと思います。

今週のお題「下書き供養」

下書きその1「外から叫ぶ派とドアを開けて呼ぶ派」の話

ちょっと前に「昔、友達と遊ぶ時家のまえで名前呼んでたなぁ」って話を描きました。

rito.gameha.com

この時頂いたコメントを読んでると、「外から大声で名前を呼んでたパワータイプ」と「玄関を少し開けて呼んでたテクニカルタイプ」の二大勢力に分かれることに気がつきました。

これは興味深いですね。

ここにも地域差があるんでしょうか。

下書きその2「テレビに映る美男美女」

学生の頃だったかと思うんですが、とにかくテレビに映る同年代の美男美女を見て劣等感に苛まれていました。

「この人たちはこんなにキラキラと輝いているのに自分はどうしてこうなった?」と。

いつのまにかそう言うのなくなったなぁ。

いつなくなったかなぁ?とふと気になりました。

自分に自信が出てきたからなのか、達観したからなのか。

下書きその3「最近のLINEの」

先日ちょっとLINEが世間を賑わせましたよね。

隣の国にぼくらの情報が漏れたとかなんとか。

この情報、よくよく追いかけてったら、社員にそちらの国の方がいらっしゃって、その方達の仕事場がそちらだったというお話だったんですね。

まあ確かに、あちらでは法律ですべての企業は持ってる情報をお上に報告しなければならないらしいので、筒抜けになったといえばそうなのですが、どこかの国も、誹謗中傷を防止するためにどさくさに紛れて国に不利益なこという人の情報を吸い上げようとしている節もあるような気もしないでもなくて、そこに差はあるのだろうか?とか思ったりするんですが、実際のところはどうなんだろう?

感情的な部分を冷静に丁寧に取り除いて、ロジカルに比較して慎重に議論しないといけない気がしています。

信用を点数化している件も、なんかこう、結婚してるとか、定職についてるとか、いい大学を出てるとか、SNSのフォロワー数やいいねの数とか、そういうのをフィルターにして相手を見るのとそう変わらないような、そんなふうにも思えます。

戦闘力が5でもゴミじゃないですよね。

どっちの味方がしたいとかそんなんではなく、気をつけたいなって話です。

下書きその4「ゼロベース」

10年くらい前だったと思うんですが、ビジネスシーンでめっちゃ言ってませんでした?ゼロベースって。

もちろん、今もその思想はあると思うんですが、それでも一時期ほどの流行りはなくなったように思います。

世間に浸透してしまったのか、それとも時代をゼロまで戻す必要はなかったということなのか。そこまで我らの星は空っぽではなかったということなのか。

SDGsが今めっちゃ流行ってますが、一過性のおしゃれな単語にならなければいいなぁ、なんて思ってますし、ぼくもそういう使い方にならないようにしないといけないなって思ってます。

…なんてだらだら書いてたらいい文字数になったので今日はこれくらいにしときます。

お付き合いありがとうございました。