子どもがパソコンを手に入れた

どうやらうちの子らが通う学校で、自分専用のChromebookが支給されたようです。

と言っても、家に持って帰ることはなく、卒業するまでということなので「あくまで学校でだけ自分のもの」といった様子です。

どうやらぼくらの住む国は、学校内のパソコンの普及率とか世界の国々と比べるとどえらい遅いらしく、オーストラリアとか国内の全ての生徒の成績がクラウドで管理されてて、学校間でデータ送受信ができるので入試も願書もないらしいです。

今回のコロナ対応とかにしても、女性の社会進出率にしても思うんですが、ぼくらは後進国の住人なのかもしれないですね。

まぁ、夜出歩いても安心なのと、サブカルの豊富さはありがたいのですが。

それはさておき、ぼく自身、自分の低い能力をITのガジェットたちが義手義足のように補ってくれてるように感じているので、子どもたちが学校でパソコンに触れる機会が増えて、可能性がどんどん広がってってくれたらいいなと思っております。

「電話番号覚えなくなったから」とか「漢字を書かなくなったから」とかいう理由での「頭が悪くなるのでは論」がありますが、ぼくは逆に、電話番号や漢字を覚える時間と労力を、他のことに使えるようになったと思いたいです。

ぼくはタイミング的に、学生時代にWindows98とXP、そして初代iMacが普及した頃で、ぼくの行ってた大学でもこれからはPhotoshopやIllustratorを使ってクリエイティブな活動をする時代になる、みたいなのを習いました。

自分たちも使ってみて分かったのは、ある程度のことがツールを使って自動化できるせいで、みんなツールを使って似たような作品を作っちゃうようになったってことでした。

あれから20年くらい経ってみると、ツールもソフトもどんどん洗練されて値段が安くなっていって、機器もどんどん手に入れやすくなって、ぼくらが「今まで手書きでやってたものがツールでできるようになった」ってことが、「ツールを使って下地を作った上にどうオリジナリティを出すか」って話になったなと思いながら眺めています。

これは、写真が開発されて普及した時代に「もう絵を描く意味はない」と筆を折った画家たちがいた一方で「写真には映らない世界を描こう」と抽象画が発展したり、もっと遡れば絵の具のチューブが開発されて「外に持っていけるじゃん!」って風景画が発展したりしたのに似てて、いち創作ファンとしては、眺めていてとても楽しい時代の転換点です。

バーチャルばかりでリアルを知らない、とかいう意見もありますが、バーチャルがリアルの予習復習になるように仕向けてやればいいなと思うし、それは大人の役割な気がします。

そしてこれは別に、創作界隈に限った話じゃないですよね。

漢字テストも数学の公式の暗記も当分なくならないでしょうが、こーいったものを覚えなくてもよくなった子どもたちが、その分の時間と労力を一体何にかけてどんな成長をするのか、ぼくは楽しみだな〜って思っています。

そんなぼくは相変わらず液タブの練習をしています。

前回の反省をもとに、今回の作品はラフから線画をきっちりと清書してみました。

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そして、ここまで線画レイヤーの下に敷いたレイヤーに色を置いて、それから画像結合。

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ここからは、上に上に色を重ねてみます。

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ペンの持ち方が次第に絵筆を持つみたいに長くなっていきます。

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うむ、楽しい。

これは、まだまだ色を置いていけそうなので次回に続きます。