好きなことを仕事にするのかどうか問題ってあるじゃないですか。
ぼく実は大学でてちょっとの間バイトしながら絵描きの真似事みたいなことしてたんですね。
バイトしないと生活できなかったんですが、絵の収入もありました。
でも、その頃親父の勤めてた会社が倒産して「ちゃんと自立しないといつか詰むかもしれないな」って思ったんです。
その時の、ぼくの絵に対する考えはこんな感じでした。
絵だけでは食っていけない→食っていけないと死ぬ→死ぬと絵が描けない→死なないように食える仕事にありつこう!
つまり、絵を描くことを仕事にするかどうかはぼくにとっては二の次で、なんでもいいから描き続けていたかったんですね。
今となっては絵を仕事にできなかったことを正当化するよう脳内補完してるだけなのかも知れませんが、最早よくわかりませし、毎日5分でも10分でも描けるのなら満足してます。
このブログでは美少女イラストばっかり描いてますが、これも「描くと評判がいいから」ってのが大きな理由で、描けるのならなんでもいいんです。
ぼくにとって生きてて一番辛いのは描く時間がないことで、何かの行動をやるかやらないか判断するときも、絵を描く時間を確保できるかどうかを最優先に計算してます。
絵を描くことに支障がなければやればいいコトだし、絵を描く時間を奪われるならやらなくていいコトです。
絵を描くことは、ぼくにとっては喉渇いたから水飲む、水飲みすぎて催したからトイレ行く、くらい自然なことになっています。
そこに理由とかそういうことは必要なくて、ほぼ自動で、「絵を描こう!」みたいなこと考えなくても描き始められてしまいます。
これだけ生活の一部になってても、上手いかどうかはまた別の話で寄り添ってくれないってところが小悪魔なところですよね。お絵描きって。
こんなに体の一部になってるのには理由があって、ぼくはブログで何度も書いてる通りのコミュ障で、なんて言うんでしょう、幼稚園の時とか、ガラスケースの中に自分だけがいて友達を見てたような、そんな記憶があるんです。
これは大人になって知ったのですが、同居してた祖母がものすごく厳格な人で、子どもの教育方針に疑問を抱くような親の子とは、ぼくはきっちり接触を避けられてたらしく、ぼくの両親もやりにくかったらしいです。
まぁ、今となってはこの原体験は、ぼくがナニゴトも一歩引いた視線で眺める癖みたいなものになったので良かったと思ってます。
そんなわけで、幼少期のぼくは自分の世界に閉じこもってひたすらにお絵描きしてたのですが、そうやって描いてた絵を友達に「うまいね」って言われたことは、ぼくにとっては世界とチャンネルが繋がったような、ガラスケースに穴が空いたような衝撃だったんです、おめでとう、おめでとう。
ぼくにとって絵を描くことは、シンジくんがエヴァに乗るくらい、社会とつながるパスポートになっちゃったんだと思うんです。
これは、今でもぼくは周囲の人に、休みの日は絵を描いてて公募展にも出してることを公言していて、ちょっとずれたことをやったり変なこと言ったりやったりしても「あの人は芸術家肌だから仕方ない」と思ってもらう免罪符になっている面があります。
これがいいことなのか悪いことなのか、羨ましいことなのか羨ましくないことなのか、ぼくにはよくわかりません。
実際「絵で食っていきたい!」ってほどの強烈な情熱の炎にもならなかったわけです。
ただ、ぼくは今日も楽しく描いていて、そんな自分のことをぼんやりと振り返ってみたくなったのでした。
夜、静かに絵を描いてると、いろんなこと考えちゃいますね。
後ろにアジサイを描こうか、それはベタすぎるだろうか?と考え中です。