中学のある時、ぼくは突然学校の勉強が手につかなくなったんですね。
そして授業がさっぱり分からなくなりました。
幸いなことに友人には恵まれていたので学校自体は楽しく通うことができたのですが、おかげでぼくは地元でも有数のスラム高校に進学しました。
ぼくは高校3年間で4回上履きが無くなりました。
でも、買いなおす必要もなかったんです。
みんな、靴箱の自分の手に取りやすい位置にある上履きを勝手に履いていき、脱いだ上履きはその辺に脱ぎ散らかしていくんです。
なので靴箱周辺にはいつも無数の上履きが散乱していて、自分の上履きがなくなったときは、その中から自分の足のサイズに合うものをピックアップしてました。
午前中は教室の半分くらいの席が空いていて、昼過ぎくらいになるとほぼ埋まり、6時間目になると女子の皆さんは化粧を始める感じでした。
担任の先生に期末試験前に「授業のノートを貸してくれ」と頼まれたこともあります。
クラスの成績がやばい人にぼくのノートをコピーして配ってたみたいです。
貸したノートが帰ってこなくて「先生、ノート返してください。」って言ったら「すまん」って新品のノートを貰ったこともあります。先生、忙しすぎて無くしちゃったんですね…心中お察しいたします。
通学に使っていた自転車が壊れて、買いなおしてもらったのは流石に申し訳なかったな。
駐輪場にとめてある自分の自転車を出したかった何者かが、自分の自転車を出すのに邪魔だった自転車を全て掴んで投げたんだろうなって感じになってたことがありました。
あれはモヤシなぼくにはできない芸当だ。
ぼくは今でもお店の駐車場とかで、店内入り口から遠い場所に車を停めることが多くて、うっかり癖で家族で買い物行った時も遠い場所に停めて「なんでこんなとこに停めるの?」って奥さんにいわれることがあるんですが、この時の体験からかもしれません。
他にも色んなエピソードがあるんですが、概ね楽しく高校生活を送ることができました。
色んな人と一定の距離を置きながらそこそこ仲良くするっていうスキルがぼくにはあったみたいなんです。
そんな生活の中で、あるときふいに「あぁ、勉強ってこういうことか」ってのがわかりました。
大学は内申点と実技で行っちゃいましたし、ぼくが本格的に勉強したのは就職の時だったのですが、そのときこの経験が大いに役に立ったように思います。
それ以降、仕事で必要なことはちゃんと勉強するようにしているのですが、このノウハウをもっと早く身につけていれば、もっと偏差値のいい高校に進学して、こう、ステレオタイプな高校生活の思い出をつくることができたかもなー、なんて思うこともあります。
まぁ、そんなこと思うのはぼくだけじゃないっすよね、きっと。
去年、大学受験の制度が変わった関係で、小学校時代からの学習の記録を中学高校と持ち上がって受験で使いますって手紙が子どもの学校から配られました。
そんな膨大な受験生の記録を総合的に見て合否を判断するなんて、大学の先生も大変だな〜って思いました。
と同時に、小学生時代に作った「将来の夢は漫画家なので、漫画家の仕事について調べました!」なんていう手作り子ども新聞が綴じられたファイルを持参して医学部に挑む!なんて受験生のもこの先うまれるのかなー?なんて想像すると、軽く地獄だなと思いました。
きっと、その手作り新聞の誌面には、オリジナルの4コマ漫画とか、間違い探しとかあるんですよ。おぉ…。