って描くと「おいおい自称天才の自慢話かよ!?」って言われそうですが、そうじゃないんです。
あと、厳密に言えばデジタルイラストの話かもしれません。
ぼくの描いてるイラストは、絵の勉強で得た知識で描いてるんですね。
黄金比や白銀比を参考にしながら構図を考えて、デッサンや配色・遠近の知識で線と色を置いてってます。
しかも、残念ながら20年前の資産を食い潰しながら描いてるのが現状です。
老後にまた勉強し直すのがぼくの夢です。
なのでネットで見聞きするイラストの書き方とか見てると、知らない言葉や技法がいっぱい飛んできて、めっちゃ新鮮です。
それらはいつの間にか、ぼくの知らない20年の間に普及したモノなんだろうと改めて考えると、歴史がギュンギュン更新されていて、その最中にいる気がしてきて、なんだかワクワクしてきます。
さながらこのネット空間、といってもぼくが観測している範囲だけなんですが、ここがルネサンス時代のフィレンツェの、工房が軒を連ねて絵描きさん達がひしめき合ってる場所のように思えてくることがあります。
広場の真ん中に置きっぱなしになってた石を突然削り出した男がいたかと思えば、ダビデ像が完成して「おれは石の中に眠ってた像を掘り出しただけだ」とか言ってみた、みたいなノリで「おれにしか見えなかったおれの嫁を見えるようにしてみただけだ」とか言ったらカッコいいですよね!?
言葉の使い方も変化っていうか、進化してってる気がします。
たとえば「グリザイユ」ってありますよね。
ぼくが習ったグリザイユって、モノクロで描かれた絵のことで、油絵具が開発される前の時代の、レリーフとか、版画の下絵みたいなイメージが強いんですが、今グリザイユって言ったら、厚塗りで着彩する前の下地みたいなものですよね。
もちろん、油絵具が開発されたあとの、ぼくらが「お汁がき」って呼んでたものをグリザイユって呼ぶようになったのも、なんとなく知ってましたが、それは後から追加された使い方、みたいなイメージだったんです。
あ、お汁がきはバーントシェナーで描くんでグリザイユっていうよりカマイユでしたっけ?だったら木炭でかく下絵か。
さておき、まあこういう言葉の進化って、べつに絵の世界だけの話ではなくて、イコンやアヴァターラがアイコンやアバターの語源なのと同じように、時代によって進化していくのと同じなんだろうなーと思って楽しく見てます。
おそらく他にも、ぼくの習ったのと違う使い方の絵の用語とかもあって、そういうのを知るたびに面白いなーって感じてくんだろうなって思うと、ネットってやっぱ楽しいなって思います。
そういえば、ぼくは草とかチートとかステ振りとかって言葉も、このブログで交流してる皆さんから教わった言葉でした。
ほんと楽しいです。