前回、うっかり最近ぼくが思っているイラスト論みたいなのを書いたんですが、今日は前回の記事を書きながら「とはいえ!」と考えてたことを書こうと思います。
高校時代、ぼくが絵を習ってた先生は、とにかく舌足らずでした。
「絵描きは喋るの苦手なんだな」とか思いつつ、自分もそんな「作品で語る人間」に憧れたもんです。
そして、後になって色彩理論とか本を手に取り勉強してみると「あの時のあの話はこのことだったのか!」てことがあったりもしました。
当然、あの時の先生も勉強されてたことだとは思うんですが、それ以上に自分の実体験から感じる「こうした方がいい」ってものを、パッションで教えてくださってたんだと思うんです。
黄金比ってあるじゃないですか。
1:1.618っていう「最も美しい比率」の1つですよね。
黄金比っていのうは、森羅万象のあらゆるところにあって、ぼくらの体のあちこちからも出てくる比率で「とても神秘的なお話ですね」ってされることが多いですよね。
ぼくはこれ、生物が並んだり増殖したりするときに、生存戦略的に効率が良かったりエネルギー的に1番無駄がない比率ってだけだったんじゃないかと思うんですよ。
だから人間も、生き物としての根源的なところで魅力を感じたり、無意識にあちこちで目にするもんだから親しみを感じて、そんな感覚を日本語的に「美しい」って言葉に置き換えてるんじゃないかな〜と。
ぼくくらいが思うんだから、ちゃんと文献とか論文にあたったら出てくる話なんじゃないかな?ぼくの調べが足りないだけで。
「全く見当違いだぜ!」て話だったらごめんなさい。
ただ、諸説ある1:1.618っていう数学的な値の起源だって、先人たちのたくさんの試行錯誤の末に行き着いたものですよね。
たくさん自然を観察して感動して、そうやって得たものを糧に制作すれば、論や知識は後からついてくるってことなんですよきっと。
考えるな、感じろってやつですね。
そーいう人にぼくもなりたいとこほですが、ぼくはそこまで感度の高いアンテナを持ってないので、体系化された論が補助具のように自分に必要なんだと思うんです。
理論武装とはそういうことかもしれません。
逆に言えば、たくさん自然界から感動を受けて、その感動をもとにたくさん作品をつくっていくことができれば、理論は後からついてくるんだろうとも思うんですが、別に自分を卑下するつもりもなくて、それがぼくの絵の作り方だと思うし、単純に、文章を読むのが好きなので、その影響で自分語りもしてしまうのかもしれません。