絵を描くことで学んだことは気合と根性でした

先日、昔買ったアニメのサントラの話から「KEY THE METAL IDOL」ってOVAの話になり、うっかりファンアート描いてみようかなぁ〜ってぼやいてましたが、こんな感じになりました。

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うーむ。

完成かと思ったんですが、こうやって見るともうちょい塗りたいな。

やっぱり、まだ途中かな?

絵の「完成」って面白いですよね。

だいたい、やろうと思ったらまだまだ描き込めるんだけど、飽きちゃった・次の絵描きたくなっちゃった・締め切りが来ちゃった、くらいの感覚で、諦める、もしくは匙を投げるようにして「完成です!」みたいな、そんな感じありますよね。

さて、今回「完成!」と思ったのはどのパターンでしょう?

作家さんによっては、自分の中で区切りをつけるためにサインを入れて「おしまい!」ってするって話も本で読んだことあります。

サインも難しいですよね。

後から入れるから画面全体の構図のバランス変わるし、逆にいまいち締りのなかった画面が引き締まったりすることもありますしね。

実はぼくは苦手で、なのでサイン入れたりしないんですよね。

こーいう絵の話って、なんか楽しいですよね。

リーマンが本業の日曜画家なぼくなんかが語るのはおこがましいと思いつつ続けるのですが、ぼくは絵は、歴史に名を残すレベルでもない限りあんまり才能関係ないと思うんです。

美術の大学って入試の時に実技試験があって、その試験対策の予備校や塾があって、ぼくも高校時代通ってました。

受験ビジネス化してると批判の声もありますが、ぼくは行って良かったと思ってて、そこでいちばん学んだことは、絵って気合と根性の世界なんだなってことです。

しかも、ただひたすらに描いてればいいわけではなく、インプットとアウトプットをどれだけ高速回転させられるかが求められて、これを通常の学校生活と平行して行うわけですからかそれなりにタスク管理のバランス感覚というか、マネジメント力が養われるわけなんです(完全にバランスを崩した先にある、アンバランスなバランス感覚の、いわゆる天才肌なんて人もいますけどね)。

そして晴れて大学に進学してからは、今度は自分の作品が現役作家の先生たちの目に常に晒され、言葉の刃でいつも生傷だらけの生活を送る事になるので、メンタルがムッキムキに鍛えられていくんですよね。

講評会という名の、自分の作品を皆の前でプレゼンするイベントが定期的にあるのですが、中途半端なものを出そうものなら公開処刑で、「お前は大学の面汚しだ」と言われたり「これ以上頑張ったら死にます」とか弱音履いたら「じゃあ死ね」と言わせたり、泣いちゃう同級生とかも見ました。

でもこれ、別にそれが若い芽を潰そうとしてるとかそーいうわけでなく、愛の鞭での叱咤激励だということもみんな共通認識だったんですよね。芸事の世界ってこんなもんだと思ったし、作品を間に挟まないときの先生方はとっても気さくでした。

まぁ、今のご時世はもう無理かもしれないですが。

そんなわけで、ひたすら作品と向き合うのでコミュ力はあんまり上がらないかもしれないんですが、それを差し引いても実はけっこう現代の社会人に求められる能力を培うことができる世界だったんじゃないかなぁ、なんて改めて考えると思ったのでした。

と言った感じで、今年の盆休みは、新コロと雨で完全に身動き取れなかったので、物置の整理整頓とかしながらぼんやりと昔のこととかよく思い出したのでした。