親ガチャって言葉が最近話題になってますよね。
親の貧困や虐待を受けている子どもを「そんな親のもとに生まれてしまったんだから仕方がない」と放っておくのではなく、地域や各種セーフティネットが機能して、すべての子どもが幸福に暮らせるようにしなければならないっていうのは異論はないと思うんですよ。
以前から「子は親を選べない」っていうのは児童福祉の観点で大事な話だったように記憶しています。
それが「ガチャ」って言葉に置き換わると賛否両論盛り上がるところが興味深いなって思ったんです。
子どもがコウノトリからクジを渡されて「じゃあこれにする」って主体的に引いたクジに書かれていた両親のもとに行ってみて「あーハズレだった!」みたいな、そんなニュアンスになるんですかね。
ゲーム感覚っぽくなりますもんね。
そーいえば「女の子を落とす」とか「彼女をゲットする」って言い方があるじゃないですか。(近頃は言わない!?)
「女性はモノじゃない!」みたいな、あの雰囲気に近いのかもしれませんね。
「大事なことに対してその軽い言い方はどうなんだ!?」という嫌悪感がつきまとうのかもしれません。
上司に向かって「ちょりーっす!」って挨拶してしまうような無礼さにも近いかもしれませんね。
一方で、難しい問題を柔らかい表現に置き換えることでわかりやすくするってことも、よくあることですよね。
か弱い女性をウサギに、痴漢や強盗をオオカミに例えたり、とか。
TPOを弁えた表現というのはとても大事なことだなーと改めて思った次第です。
「君の瞳は100万ボルト」ってのも、ビシッと決めたスーツを身にまとった伊達男が、高級レストランで窓の外に広がる摩天楼の輝きと比較しながら言うからいいってやつですが、Tシャツジーンズの素朴なナイスガイが照れながら精一杯言ってる姿にキュンとくる女子もいるかもしれなくて、げに言葉とは複雑怪奇でいとおかしです。
いろんな言葉を巧みに使って、小粋なトークが紡げるような大人になりたいもんです。
ところで、ウチの長男も気がついたら小6で、来年には中学生です。
最近の高校受験は中一の成績から持っていくことになるので、そして高校の次には進学か就職かって話もあるわけで、そろそろいろんなことがザワザワしてるわけなんですが、自分の年収に思いを馳せながら「地元の国公立大学か高卒ですぐ就職してくれないかなぁ〜」なんて気持ちがついよぎってしまうぼくなんかは、親ガチャでいえば、Cランクくらいなんだろうなーと思います。