最近ハマっているゲームがあるんですよ。
このゲームは何か道具が必要なものではなくて、ぼくの脳内で取り決めたルールに沿って動く類のゲームです。
何かの事象に対して、まずは事実を確認して、そこで一度思考を切るというゲームです。
具体的には「ああ、床におもちゃや学校の用具が広がってるなぁ」って事実確認をしたら、そこから「やだなぁ」とか「腹立つなぁ」とか、そーいう気持ちにすぐにいかないようにするゲームです。
状況にラベルを張ってラッピングするイメージです。
子どもらを見て
「ああ、ずっとゲームやってるなぁ」
「おお、宿題やってないなぁ」
みたいな、そこで自分の感想を止めるゲームです。
そこで一度、自分の気持ちを切ってしまうと「まぁ、おれもゲーム好きだしな」とか「学校の勉強だけが全てじゃないしな」とか、そんな気持ちが生まれる余裕が出てくる気がします。
子どもにガミガミ言うのが嫌で、「心療内科とか行った方がいいかなぁ」って思ってた時期が続いてたんですね。
もともと以前から、風邪ひいたから病院行くとか、歯が痛いから歯医者行く、くらいに心療内科に行く風潮に賛成だったので「いよいよこれはオレも!」て思ったんです。
でも、調べてみると評判の良いところは予約で数ヶ月待ちとかで、そんな時にゆきにー (id:yuki_2021)さんに勧めてもらったこちらの本とか読んだらすごく楽になったんです。
そして、関連商品で出てきたこちらも読みました。
図書館で借りたんですが、これはもう買って手元に置いといてもいいなと思うくらいぼくにはぶっ刺さりました。
それで始めたのが上記のゲームでした。
「家族」というバイアスは、相手を特別な存在だとついつい思わせちゃうんだけど、実はそんなことはない。
ドライなようだけど、昔からよくいう「自分以外はみんな他人」の良い側面のことなんだろうなと思いました。
そして、とにかく感情を一足飛びに上げたり下げたりするのは良くないということです。
「子どもが約束を守らないから腹が立つ」ではダメなんだなと思いました。
「子どもが約束を守らない」と「腹が立つ」を直列に繋ぐのではなく、どうして腹が立つのかゆっくり考えて、間にどれだけのセンテンスが挟まってるのか冷静に考えなきゃいけないんだなって思ったんです。
そして、これもやっぱ「絵と同じだな」って思いました。
例えば「花の絵が描きたい」と思ったとするじゃないですか。
そしたら「何で描きたいと思ったんだろう?」って考えるんですよ。
そして「花が綺麗だから」だとわかったら
「どこが綺麗だと感じたんだろう」って考えるわけです。
「花びらの色が綺麗だ」って思ったとしたら、次は「どうしてその色を綺麗と感じるんだろう」です。
そーやってバラしていくことで、描くときに使う色や、構図をどうすると良いかを検討するってのは、ぼくは昔からやってたことでした。
まぁ、ぼくの場合はこれを細かくやりすぎて頭でっかちで絵が説明的過ぎる傾向があるところが課題なんですけどね。
大事なことはなんでも絵を描くことで学んでました。
でも、美味しんぼの世界ではどんな問題も料理で解決されますし、神の雫の世界ではワインが解決してくれます。
ひょっとしたら人は全ての行為に生きるために必要なあれやこれやを込めていて、あらゆることは通じているのかもしれませんね。
今描いてるイラスト、気がついたらレイヤーを統合していて、ほぼ紙に描いてるのと同じ状態です…。
ほんと、普段は意識して避けてるんですが、いつレイヤー統合したのか自分でもわからないくらいナチュラルにやってしまいました…。
デジタルもアナログも、ぼくにとっては絵は絵だってことなんでしょうね。とほほ。