ギリセーフ?だった話

今年、健康診断で引っかかったんですよ。

なので再検査に行ったところ「多分大丈夫だと思うけど、断言できないから半年後にまた来てね」って言われたんですね。

んで先日行ったんですが「やっぱり大丈夫だと思うんだけど、きっぱり言えないので3ヶ月後にまたきてね。でも、ほぼほぼ大丈夫だから。」と言われ「あ、でも一応、血液検査しとく?アウトだったら来週電話するね。電話なかったらセーフだと思ってね。」ってことになって、先週は鳴らない電話にモヤモヤとし、突然かかってきた以前使っていたネット回線の業者の勧誘電話にいらっとする一週間を過ごし、問題の電話はなかったので一安心して今これ書いています。

「セーフだったら電話しない」って、お互いに効率的ではありますが、一週間モヤモヤしてるのって別の場所が悪くなりそうですよね!

しかも「この番号から電話しますので、かかってきてもびっくりしないでくださいね☆」って病院の電話番号を提示されたんですが、電話がかかってきたらアウトですから、びっくりするなって方が難しい話なんじゃないかと思ったんですが、命の最前線では悪いものの早期発見くらいでいちいちびっくりしててはいけないのかもしれないなとも思いました。

さて、長いこと読者登録してくださってるりとファンの方は「おや?以前、いつ死んでもいいとか書いてたくせに、いざとなったらやっぱりモヤモヤするのねぷぷぷー!」と思われたかもしれませんので、以下に釈明を綴らせていただこうと思います。

人生100年時代とか言われる昨今、40代は「まだ若い」ではあるのですが、それでも周りを見渡せば、同世代でこの世から退場する方は、ぼくだけでなく今これを読んでくださってる方それぞれに、思い当たる顔や名前があるのではないでしょうか。

滅多にないかもしれないですが、ないとも言い切れないお年頃ですよね。

そう考えると「いつ死んでもいい」って心構えをしとくのは、大事なことなんじゃないかなーって思うし、そーいうことをリアルに考えておく必要があるんじゃないかなー、と思うんです。

また、ぼくくらいのお年頃になってくると、自分のために100%自由に使える時間って、1日のうちにそうないじゃないですか。

そんな時間をコツコツ積み上げていっても、20年でも40年でもそんなに変わらない気がするんですね。

チリツモとか、コップに半分残った水論とかでポジティブに考えればって言われたら、それはそうなんですが、それでもって側面もあるじゃないですか。

どーせ今回みたいな案件は、今後もことあるごとに身体のあちこちで起っていくことだと思うんですよ。

そーいった観点からも、毎日「いつ死んでもいい」って生き方考え方してた方が良いなぁって思うんです。

ちょっと舌足らずかもしれませんね。

正確には「いつ死んでもいい。でも長生きできたら儲けもん。」ってのがぼくの偽らざる本音かもしれません。

そしてそんな人生のBGMはこれでお願いします。


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ぼくにとってお絵かきはどんなドラッグも敵わない。

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