今年は夏くらいから、マインドフルネスとかそれに関連する本をあれこれ読んで、心を穏やかにすることを意識的に取り組んできました。
その甲斐あって、かなりイライラすることが減ってはきてるのですが、それでもたまに「クワっ!」となることがあって、まだまだちゃんとインストールできてないなぁ…と思いつつ、意識的に関連する本を手元に置き続けながら生活して、3歩進んで2歩下がる日々を送っています。
何度も書いてるんですが、ぼくの当面の課題は「やりたいことを減らす」ってことなんだろうなーと思ってます。
部屋をきれいにしたいとか、絵を描きたいとか、映画を見たいとか、やりたいことが多すぎて、でも出来ないから「あー!」ってなって自滅してる自覚があります。
やれることだけやって「今日はこれだけやれたな」って納得して毎日寝るような、そんな生活が送れたらいいのになって思います。
ぼくが貪欲に「あれもこれも」って思うようになったきっかけを改めて振り返ると、やっぱ学生時代だったなと思うんです。
諸々の時間ををどれだけ切り詰めて絵を描く時間に充てられるか、みたいなのを本気で取り組んでたのが、骨身に染みてるんだろうなーって。
そう考えると「絵は才能じゃないと思う」とついこないだも書いたんですが、才能じゃないからこそ、どれくらい鍛錬を積んだかが素直に問われ、鍛錬を積むためにどれだけのものを犠牲にしたかが勲章になるっていうのは、なかなかに業が深いなと思いますね。
しかも一般に、努力は美しいとされてますしね。
ぼくが課題に感じている「1日にやることを減らす」っていうのも、手抜きと表裏一体な部分はありますし。
でも、なんでしょう。
今年はなんか、だらーんと横になってる人が表紙に書かれた本が書店によく平積みされてましたよね。
「手抜き」って言葉も最近は「手抜きご飯」とか「頑張らない育児」みたいな、そういうポジティブに受け入れらて来てるし、日本人は頑張るのがデフォルトで、もぉすでに日本の頑張りは飽和状態だったのかもしれませんね。
このブログなんかも、頑張ることをかなり早い段階で放棄しちゃったのが、こうやって更新が続いてる秘訣だとも言えます。
ぼくも、うまーいこと考え方の再インストールができたらいいなと思いつつ、でもはやり、20歳の頃に聴いてた音楽がいつまで経っても名曲であるように、20歳の頃に築き上げたアイデンティティを再構築するのは難しいなあ〜、なんて思いながら、色んな本を読んでます。