なぜデジタルで描くのか

半年ほど前だったのですが、絵の大先輩が「デジタルは誤魔化せる」と話されてるのを聞きました。

ぼくがデジタルでイラストを描いてるのを知ってるのはごく少数の方なので、この先輩も当然知らず、なのでデジタルアート全般に対しての個人的な意見として言われたのを聞いたんですね。

確かに、いわゆる「アナログ」では難しい、コピーにカットにペーストに、移動させたり変形させたりテクスチャ貼ったりといった技術を思えばおっしゃることはその通りかもしれないですよね。

「ムラのないベタ塗り」だけでも、じつは結構なテクが必要ですし。

でも、その一方でぼくは、こういったデジタルならではの技術を当たり前とした上での、新しい表現というか技法というか、そういった土俵もあると思うんですよね。

…と、偉そうなことを語りつつ、では自分はそういった新しい土俵の絵を描いてるかと言われたらさっぱりで「アナログで描ける絵をデジタルで描いてるだけですよね?」って言われたら「はいおっしゃる通りです。」なんです。

あ、今日の記事は何かを批判したり評論したりしようとしてるわけでも、この先輩の意見を肯定・否定したいわけではないんです。

なんか、絵を描いてると勝手に思考が高速回転をし始めて、脳汁が溢れて哲学的な小難しいことを考えちゃう時ってありません?

そんなものを垂れ流してるだけの、ようは便器に吐瀉物垂れ流してるだけのお話が今日の記事ですごめんなさい。

ちょうど昨年は、ミュージシャンの方の一発どりの演奏動画が流行りましたよね。

あれも「デジタルは誤魔化せる」ことに対するカウンターだよなーって思いました。

ぼくが、いろんなことができるデジタルに感動してはや20年。

いろんなことができるのが当たり前になり、その反動がひとつのムーブメントになってるのは、面白いなって思います。

ちなみにここまで、書きやすいので「デジタル」と「アナログ」という二項対立で書きましたが、じつはぼくもこの表現があまり好きではありません。

油絵、水彩、版画、デジタル…みたいに、全てが横並びなのが美しいなと思うんです。

文化が成熟して、表現手法が細分化して、自分の意図に合ったものが等しくチョイスされるっていうか。

そーなってくると今度は表現者に「なぜその手法?」ってのが問われてくるのかもしれません。

ぼくがデジタルでイラストを描く理由は単純明快で、場所を取らない、準備片付けが簡単、絵の具が減らない、ブログへのアップも楽チンという、言ってしまえばコスパなんですよね。

ぼくのブログは今1日80PVで2日に1回最新記事を上げてるので、こーいう20分くらいで描いたラフスケッチでも、毎回160人のかたの目に溜まってる計算になります。

あ、ちなみに2月の扉絵です。

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個展とかグループ展とかで作品1展を180人の方に見ていただこうと思ったらって考えると、すごいことです(「ギャラリーという場で一気に複数の実物を見てもらう」ということについては今回敢えて勘定から外させてもらってます)。

そして、あれこれと作者の考えたこと、思ったこと、解釈、ナドナドがしっかり乗って、うまーく料理された作品って、上手い下手を超えて見応えがありますよね。

そう考えると、実は思考の吐瀉物は実は作品を育てる大事な肥料で、だからお絵描きって楽しいんですよね。

…というわけで、ぼくももっと良質な肥料が吐き出せるようになりたいもんです。

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最新はここまで進みました。