Apple教さんの2月の扉絵を描いています。
毎月描かせて頂いている扉絵ですが、Mac、iPhone、iPadなどの壁紙としても配布して頂いているので、それぞれの画面サイズに合うようトリミングされることも考慮しなければなりません。
このトリミングが、ぼくは昔っから苦手です。
何というんでしょう。
「せっかく描いたんだから画面の隅々まで見てもらいたい」って欲求があるんですよね。
そんな中「確かに!」って思う、とあるイラストレーターさんの言葉に出会ったんです。
いわく、美術館に飾られるアート作品は絵が好きな人が主体的に見に来てくれるけど、我々の描くイラストレーションは絵が好きじゃない人にも「いいな」って思ってもらえないといけない、とのことなんです。
朧げな記憶ですみません、でもそんな意図の内容でした。
この文章を読んでハッとしたんです。
これがプロ!と。
つまり、ぼくの主張したいことを見てもらうことばかり考えるのではなく、見てくれた人に自由に楽しんでもらうことを考えるべきだし、だから壁紙にするにあたってどうトリミングするかも、壁紙にしてくれる人の自由に委ねられるべきだってことなんだなと思ったわけです。
と考えれば、むしろどう切り取られてもバシッと決まるようなイラストを用意することこそ、プロってことなんでしょうね。
しかしぼくはそんな超絶絵師ではないので、最近はトリミングされて残る部分は密度をあげて、カットされて切れる部分はサラッと描くようにしています。
「iPadとかだと、切れちゃうんですね?ここ」みたいな部分に注力することが、どうにもできないみたいです。
まあ、伝統的な日本美術の侘び寂びとも言えるし、サラッと描いた部分に使うはずだったパワーをメイン部分に回せるのならそれはそれで良いような気もします。
なんてことを考えていて、ふと思ったのが最近流行りの、ドラマや映画の倍速視聴です。
なんかこう、間の取り方やテンポが、製作者の意図と違うんじゃないかと思えて、何か見逃すんじゃないかという貧乏精神も手伝い、ぼくはあんまり肯定的に思えないでいたのですが、ひょっとしたら、あらすじや物語の前後をつなぐためのシーンは倍速で見てもらうこと前提でつくっておいて「ここぞ見せ場!」ってところにパワーを注いだりとか、そーいった最初からある程度倍速試聴を見越した作り方とかされてるのかもしれないなーって気がしてきました。
でも、よく考えたら似たようなことは昔からありますよね。
テレビアニメなんかも、物語の山場は作画が凄かったりとか、漫画でも話をつなぐだけのシーンはサラッと背景がかかれるだけだったり。
スーパーで売られてるカット野菜や魚の切り身だって、あらかじめハイライト部分だけをトリミングして売ってるものでした。
そー考えると、トリミングに対して絵の構図が変わる〜!とか、自分は頭が硬かったなーなんて思ったりしたのでした。