桜をいかに解釈するか、それが問題だ。

新作の準備をしています。

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そーいえば、桜をテーマにしたイラストって描いたことないな〜と思い、次回はこんな感じにしようかと思っています。

ここから、モリモリと枯木に花を咲かせていけたら良いなと思っています。

満開の頃に心に余裕があるとき、ぼくは桜のスケッチをしに出かけたりするんですが、桜って難しいですよね。

あまり緻密に描きすぎてもいけないし、かといって大雑把に描けばいいかっていうとそれはそれで綿飴みたいになっちゃう。

解釈とデフォルメの加減がすごく難しいなーって思うんですが、液タブにも慣れてきたことだし、そろそろ挑戦してみてもいいんではないだろうか?なんてことも思い描いています。

とはいえ、前も書いたことがある通り、肩の力を入れるでもなく、お絵かきができる隙間時間にちまちまと楽しむのがブログに載せるイラストの信条なので、ちょっとずつ桜の花びらを描いていこうと思ってるところです。

ぼくはもう、絵が描ければそれで幸せです。

気合いを入れて描くとか、そんなのはすっかり無くなっちゃいました。

リアルに、同年代でぼくと同じく仕事とお父さんしながら絵を描いてる仲間がいるんですが、先日会った時に「若い頃は悩みながら描いてればいい絵が描けたけど、今は悩んでたら時間がなくなって絵が仕上がらない。」て言ってました。

心から、それな!って思いました。

そーいえば、他県に行かれちゃったんですっかり会わなくなってしまったんですが、ぼくがかつて教えを請うていた絵の先生から散々言われたのが「君の絵は真面目で固すぎる。解釈が足りない。」って言葉でした。

自分でも自覚があって、見えたものを見えた通りきっちり描こうとしすぎるんですよね。

そーなんすよ、写真みたいにリアルなら、ある意味写真で良いんですよね。

(あえて写真のようなリアルを描くスーパーリアリズムって手法もあって、これまた超絶技巧ですごいわけですが)

かといって、デフォルメしすぎると今度はなんか妙に漫画っぽくなっちゃうんです。

あ、漫画がダメってわけじゃないんですよ。

なんていうんでしょう。ぼくが狙ってる感じじゃないんです。

そのせいもあるのか、ぼくは現代美術も大好きです。

あの、自由奔放さ、訳のわからなさ、揺さぶられて持っていかれる感じがとても魅力的です。

命懸けの悪ふざけって感じがするんですよね。

及川光博さんことみっちーが好きなとこも、共通するものがあるなと思います。

全力で人生をかけてネタやってる感があるじゃないですか。

ロックだなーって思うんですよね。

楽しみながら、自分でもすごいなーって思えるような絵が描けたらいいなって思いながら、描いてます。