【読書感想】『わたしの美しい庭』そこは本当に本当に美しい

切なさやら優しい気持ちやら、いろんな感情をグッと持っていかれる小説を読みました。

このお話、余韻がすごいです。

そんな凪良ゆうさん著の小説『わたしの美しい庭』について、感想を書こうと思います。

あらすじ紹介程度のネタバレがありますのでお気をつけください。

お話は「縁切り神社」という、名前だけ聞くと物騒なのですが、よくないものとの縁を切ってくれる神社が屋上にあるマンションが主な舞台となり、神社に関係する人たちが交代で主人公になりながら話が進んでいきます。

第1話の主人公は「百音」ちゃんという、10歳の女の子です。

百音ちゃんは、縁切り神社の宮司であり、このマンションの大家でもある「統理」さんと2人暮らしです。

2人は血がつながっていません。

統理は百音ちゃんのお母さんの元夫なのですが、5年前に百音ちゃんの両親が亡くなったときに百音ちゃんを引き取り、以後2人で暮らしています。

周囲の人には「健気に頑張っている可哀想な子」と思われているけど、本人は毎日楽しく生活しています。

次の話の主人公は、同じマンションに住む「桃子」さんです。

彼女は独身でもうすぐ40歳。お母さんに結婚をせっつかれています。

職場でも「お局さん」になりつつあり、上からはまとめ役を期待され、下からやうるさ方として見られる立ち位置で、周囲からの視線にがんじがらめになっています。

桃子さんには、過去に自分の中の時間を止められてしまった出来事があるんです。

第3話の主人公は、これまたマンションの住人で、統理さんの親友の「路有」くんです。

彼は移動式屋台バーのオーナーで、夜な夜な各地を転々としながらお店を開き、明け方帰ってきて桃理と百音と朝食を食べ、眠りにつき、夕方起きて仕事に行くという生活をしています。

何物にも縛られず自由に生きているような路有くんですが、ゲイの彼は両親からは勘当され、添い遂げるつもりだった元カレは女性と結婚してしまって一時は自殺を考えていたところを統理さんに保護されています。

次の話の主人公である「基」くんは、子どもの頃に大好きだった兄を亡くしていて、おじいさんに言われた何気ない「お兄ちゃんの分も生きないとな」という言葉を背負ってしまい、以後常に全力で突っ走って生きてきて、就職した大手ゼネコンで鬱を患ってしまった青年です。

それぞれ周囲からの視線や思い込み、社会の「普通」に晒されてるんですよね。

そんな中で何かが歪んで、その歪みが登場人物たちの関わりによって癒されていく…と良いんですが、癒されていくってほどでもなくって、なんだろう?解きほぐされていくって表現がいいかもしれません。みんなそれぞれにすこしだけ、前向きになれるんですよね。

その様子に、すごいグッとくるんですよ。

ぼくはもう、桃子さんの話が切なすぎて、余韻がガンガンでした。

先ほどちょっと書いたとおり、登場人物たちの首を絞めてるのは、周囲の目なんですよね。

しかもこう、ぐいぐい絞めてるわけじゃなくて、悪気なく真綿でゆっくり絞めてるっていうか、みんなが悪気ないってわかってるから絞められてる方も強く言い返せない、だけど確実に苦しくなってってるって感じがどうにももどかしいんです。

だから、みんながちょっとずつ救われてく話は本当に暖かくて、そうやって一人一人が一歩踏み出せてく話のラストに、もう一回百音ちゃんの話があって「これが私の日常です」みたいな、そういう希望のあるラストが本当に感動的なんですよね。

もぉね、「自分の物差しで他人をラベリングするのはやめましょう!」って世界中に呟きたくなる、そーいうお話です。