勉強はチケットを買うために支払う対価だった

以前書いたことがあるんですが、ぼくはスラム高校に通っていました。

なかなか興味深く読まれた記事でしたので、気になられた方はこちらから読んでやってください。

rito.gameha.com

上記の記事でもちょっと触れてるんですが、ぼくは中学時代のある日、勉強する意味とは?と突然考え出してしまい、その答えがわからなくて勉強に手がつかなくなってしまったんです。

今となっては不思議なくらいにモチベーションが急降下しました。

「今やってる国語や英語の勉強が将来の人生にどのように直結するのだろう?」と本気で悩みました。

そして、その疑問に答えてくれる人もいませんでした。

…というのは実は詭弁で、本気で答えを探そうとしてたかどうか、今となっては記憶も朧げで、もしかしたら勉強しない理由に使ってただけで、答えなんて探してるふりだけだったかもしれないなー、なんて思ったりもしています。

こうして、さっぱり学校の勉強についていけなくなってしまって、冒頭の通り、めでたくスラム高校に進学したんですね。

今考えると、2年連続生徒会やってたし、運動部の部長もしてたのでものすごくもったいない内申だったなと思います。

そんなぼくが、学校の勉強の必要性について今までで1番ストンと納得いったのが『ドラゴン桜』で出てきた、「学歴は人生のレールを走る電車に乗るためのチケットで、勉強すればするほどいい電車に乗れる」的な話です(十数年前に読んだのでこちらもやはり記憶が曖昧になってます)。

別に今のご時世ですから「いい大学に行けばいい仕事につける」みたいな簡単なことはないんですが、後々選べる選択肢は増えて、その分可能性はやっぱ広がりますよね。

それはやっぱりリラックスして乗っていられる豪華客船だからこそなわけで「石炭くべるの手伝うなら乗せてやる」って言われて乗った蒸気機関車だったらゆっくり進路を考えるなんて無理かもしれません。

ぼくは後者だったので、大学卒業後に4年ほどニートとフリーターを経験しながら、中学高校時代を取り返すべく猛勉強をして、そこで頑張れたのは偉かったと思っています。

将来、自分の子どもがぼくのように「なぜ勉強するのか?」と悩むことがあったら、この話をしてやりたいなと思いつつ、でもこーいうことって転生して前世の記憶を持ってる子じゃないと通じないよなー、とか思ったりもしています。

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という話を試験がらみの今週のお題用に準備してたんですが、気がついたら終わってました。

遅刻して試験受けられないタイプですね。