とくに結論もなければ主義主張もない話を以下ダラダラと書きます。
ぼくが寝る前に30分ほどゲームをして現実逃避をしてるのはブログで何度か書いた通りなのですが、最近は『英雄伝説 閃の軌跡』というのをプレイしています。
英雄伝説というのは、ファルコムという老舗のメーカーのファンタジーな世界を舞台にしたRPGなのですが、「ゼムリア大陸」という地域を舞台にシリーズごとに国も主人公も違う物語が展開されるんですね。
で、ぼくは20代の頃にこのシリーズの『空の軌跡』をプレイして、あまりにいい話すぎて感動し、以後ゆるゆると続編を遊んでいるんです。
このシリーズ、いい意味で「割り切ってる」ゲームで、ぼくみたいに小説を読むように物語を楽しみたい人のためのゲームだなって思うんです。
そして、先ほど書いた通りタイトルごとに舞台となる国や登場人物が違うものの「あっちの主人公がこっちでは脇役だけどキーパーソン」みたいな、そんな繋がり方をしていて、細かな設定よりも全体を俯瞰したときに見えてくる大きな物語を楽しむためのゲームって感じなんですね。
今遊んでる『閃の軌跡』なんて4まであって、すべてがひとつの物語らしいのです。
らしいのです、っていうのは今ぼくは2のラストあたりを遊んでいて、実は1は「あんまりおもしろくないかも?」とかはじめは思いながらやってたのが、1のラストで急に面白くなってきて、その勢いで物語に浸り続けているって感じなんです。
『閃の軌跡』は、とある軍事国家が舞台で、軍人を育成するための士官学院の学生たちのお話なんですね。
で、1の中盤までは、なんというか、舞台設定とのミスマッチを感じるような、まるで学園恋愛シミュレーションゲームみたいな制服を着た登場人物たちのビジュアルに、きな臭い戦記モノと、フワフワした学園ラブコメをごちゃ混ぜにしたようなどちらも中途半端なようななんとも言えない感じだったのが、ラストでこう「こんな時勢の中、将来はそれぞれ別の道を歩む俺たちだけど、そんな俺たちの今を取り戻せ!」みたいなノリになって、そこからが面白かったんです。
おそらく、長編のファンタジー小説が好きな方にはたまらんストーリーだと思います。
ただこれ、ゲームなんですよ。
物語を追っていくのにすごく時間がかかるんです。
ぼくみたいに「気分転換が目的」ならいいのですが「他にもゲームもたくさん遊びたいぜ!」って人には、あまりに時間を食い過ぎるのではないかとも思います。
そんな意図を汲んでか、ぼくが遊んでいるps4版には「倍速モード」が搭載されていて、押しっぱなしにしておけば、常に全てが倍速で流れていくんため、非常にサクサクと進めることができるんです。
「これは便利だなぁ」と思いながら、ある晩ふと思ったんです。
「ぼくは、制作側の意図した体験を味わっているだろうか?」と。
最近、映画やドラマの倍速視聴が話題に上がったりしてますよね。
「本来の監督の意図した間の演出を味わっていない」とか「今の映像コンテンツは倍速されることを前提につくられている」とか、諸説あるわけです。
かくいうぼくは、倍速で試聴するとなんだか急かされているようなきがして落ち着かず、倍速試聴はしないタイプの人間です。
なのにゲームはできてしまって「これはいい」と思えてしまう。
この差はいったいなんなんだろうなー?と思ってしまいました。
倍速になっているとはいえ「操作しているのは自分」という主導権がこちらのあるのがいいのでしょうか?
それとも単に、ぼくがもともと映像コンテンツを見る経験値が少なく、耐性がないだけなのでしょうか。
いやしかし、ぼくが好きな映画「しあわせのパン」や「かもめ食堂」を倍速で見たら、何が面白いのかさっぱりわからないと思います。
あ、でもこれらのタイトルは倍速文化以前の作品か。
とか考えながら、結局は「倍速がいいと思う人が、いいと思ったコンテンツを倍速で楽しめばそれでいいよね」という結論に至りつつ、閃の軌跡のヒロインで、ツンデレの模範生みたいなアリサたんの落書きを置いて、今夜もゲームをプレイしてから寝ようと思います。