前回、小説を読むように物語を楽しむゲームが好きって話を書いたんです。
このタイプのゲームの評価ででたまに「それもうゲームじゃなくて良いのでは?」ってのを見かけます。
他にも、あまりに露骨に村人やギルドマスターに依頼されたところに行かされると「おつかいゲー」とか言われたりもしますよね。
「おっしゃる遠り!」って思うんですよね。
でも、ぼくなんかはアクションゲーム苦手だし、わかりやすく誰かに指示された目的地にいくってのは、お酒も回ってて、半分寝てるような状態で遊ぶゲームとしてはとても良いのです。
世界中でものすごく評価された『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』とか『モンスターハンター」とかは挫折してしまいましたしね。
でも、こーやって、いろんな人向けにいろんなゲームがあるのって、文化として成熟してきたってことですよね。
何が面白いのかわからないけど、元になったアニメが好きだったからって理由で『トランスフォーマー コンボイの謎』を何度もプレイしてた頃に比べると、とても幸せなことだと思います。
ぼくの好きな絵の世界では、写真が発明された時に「絵はもう写真で良いのでは?」って大論争が起きて、そこから百花繚乱の現代表現が始まって今ものすごく面白いわけですよね。
ぼくは、パソコンでお絵描きをしてるわけですが、たまにふと自分が「パソコンで絵を描く理由とは?」とか考えたりします。
デジタルで絵を描くのなら、デジタルならではの技法が意図がないとプロの世界でご飯を食べてくことはできないと思うんです。
そんな観点から考えると、ぼくがブログに上げてる絵は別にデジタルで描く必要があるようにも思えません。
ただぼくは、準備と後片付けが簡単で、作品のストックも場所を取らず、ランニングコストが安いっていうインフラ部分が主な理由で、でもこれ趣味としては最高ですな!って思ってるんですね。
ぼくみたいなアマチュアも、そこそこの環境と整えて、朝仕事行く前にちょろちょろと楽しめるってのもまた、文化が成熟してるからこそで、とてもありがたいことだなーって思うんです。
ニュースを見てると、世界はきな臭いことになっていて、生きることに精一杯な人もいるのに、こうやって楽しめるのはありがたいことだと思うし、ありがたいことが当たり前じゃないってことも自覚して、自分が「これが良い」ってものを楽しむようにしたいなぁって思うんです。
キリストの降誕日にコーラ色のドワーフの夢を見ながらみんなでドンチャンした一週間後に神道の神様のところへ挨拶に行くなんて、とっても愉快な文化だと思うんです。
パンに餡もカレーも突っ込んじゃうし。
こういうおおらかさを思い出して、毎日生活していきたいもんです。
え?このイラスト前も見たって?
違うんです、手直ししたんです。
どこでしょう?
間違い探し。
「これが良い」ってものをチョイスするには「どれが良いかなぁ?」って考える時間も必要ですよね。
そう思いながら、一度「完成したな」って思った絵も、後から見直して修正したくなったらまた弄れるのがアマチュアの特権だし、まるでダヴィンチが死ぬまで手直ししたモナリザみたいで素敵だなって思うんです。