美術館で震えた

先日、地元の美術館にふらっと行って絵を見てきたのですが、なんだかえらく感動してしまいました。

最近、今までよりもう一段階深く絵が見られるようになったような気がしていて、若い頃は「この絵良さがわからん。」って思ってた絵でも「味」と言えばいいですかね?なんかそれぞれの絵描きさんならではの魅力を味わえるようになってきました。

ぼくは、履歴書の「趣味特技」欄に「絵」って書いてもいいくらいは絵を描いてると思うんです。

でも「魅力ある絵か描けてるか?」って問われるとすごく不安です。

「魅力ある絵」ってまた解釈は人それぞれだと思うんですが、ぼくにとっては「持ち帰って家に飾って毎日見たいと思えるかどうか」だと思うんですね。

世の中には絵の上手い人がたくさんいて、ものすごく魅力的に感じられる絵もたくさんあって、そんな絵に比べると自分は「なんて普通なんだ…!」って思ってしまいます。

だらしないのに、妙に色気をまとっている人っているじゃないですか?

対して、キチッとしてるんだけど真面目すぎてつまらない人みたいな、そんな風に自分の絵が感じられるんですね。

なんか、そういう悶々としたものが美術館で絵を見てるときに一気に体を通り過ぎていったような気がして、1人震えてしまいました。

「自分の絵はクソだ!」と、卑下したいたいわけじゃないんです。

こう、頭上に「描きたい理想の絵」がずっと実像を結ばずにぼやっと見えてる状態で悶々としてるっていうか、そういう状況で、いちから絵の勉強がしたいなー、とか思っちゃいます。

美術館に飾られている「さらっと描きました」みたいな絵だって、その絵描きさんそれまでに積んできた血の滲むような努力があるわけですよね。

30秒で描いた絵に100万ドルの値をつけて、この絵は40年と30秒の時間をかけて描いたって言ったピカソの言葉なんて、クリエイトの真理ですよね。

ぼくも不貞腐れてないで、がむしゃらにあがいてあがいて描き続けるしかないんでしょうね。

ぼくの言う「がむしゃら」だって、生きるか死ぬが、ギリギリのところで描いてた画家や、家族が死んでも戦争があっても描き続けた画家たちに比べたら、ぬるま湯の中で苦しんでるフリしてるだけみたいなもんです。

自分のペースで頑張ろう。

幸いなことに、ぼくには絵の才能はありませんでしたが、絵を描き続ける才能はあるみたいですし。

生きがいがあるってありがたいです。