ぼくの毎日のルーティンの中には、寝る前に30分の「ゲーム時間」があって、ここで遊ぶゲームというのはいわゆるJRPGと呼ばれるジャンルが多くて、主人公たちがなんらかの理由で冒険しながら成長してゆき、強大な敵と戦って試練を乗り越えたり身の回りや世界の平和を守ったりする物語に浸って現実を忘れてから寝るのが日課なんです。
ぼくにとってゲームは小説や映画を楽しむのと同じなので、どんなに世間的に人気があろうが、あまり物語のないゲームはプレイしません。
そんなぼくにとって、今年はこの7月くらいから、気になるタイトルがあれやこれやと発売を控えています。
しかし、それでもぼくの1日のゲーム時間は30分です。
別に、機器に30分の制限をかけられてるとか、30分以上ゲームをプレイすると割れるように頭が痛くなる宝具をつけられてるとか、そーいうわけではありません。
ぼくは自分の決めた予定を淡々とこなしていくのが好きなのです。
というわけで、これから発売を待たれるゲームたちを楽しもうと思ったら年単位の期間が必要です。
値下がりされて手が届きやすくなった頃に買うことができるというメリットもなかなか魅力的なのですが、死ぬまで楽しみなことがなくならないというのもなかなか素敵だなと思うんです。
積読、ならぬ積みゲー…でもないですね、買ってないですから。
これらの言葉は普段はあんまりいい意味で使われませんよね。
でも、常に楽しみなことがあるってのは、心が豊かだな〜と思います。
「死ぬまでにあと何枚絵が描けるか」
って、毎日が忙しくてものすごく不安になってたことがあったんです。
それもなんか一周しちゃって「死ぬまでやり続けたいことがあるって良いことだよな〜」と思うようになってきました。
おそらく去年、健康診断で腹の中におできが見つかって、経過観察したけど陰性って判断が降りたことが大きかったんだろうなって思います。
ぼくはまだまだ絵が描きたいし、やりたいゲームだけじゃなくて、観たい映画も、読みたい漫画もたくさんあるのに、毎日増え続けてます。
それでも人間いつかは死ぬし、それは明日かもしれないし、だから毎日楽しいことをして、明日も楽しみにしながら、でもうっかり今日死ぬことになったら、昨日楽しかったことを思い返しながら「明日も楽しみだったけど、まー昨日楽しかったから仕方ないか」みたいな、そーやっていくしかないのかもなー、とか思うようになったんです。
「いつ死んでも良いかなあ」て思いもあるんですが、それは、いつ死んでもそこそこそれまで楽しんでると同時に、常に先の楽しみも残ってるって状態だからです。
まあ、本当に死ぬ間際になったらやっぱり色々と悔いが残るのでしょうけどね。
そんなわけで、積読とか積みゲーが悪いことではなく「未来の楽しみがこんなにある!」って思えるようになってきたことはぼくにとって歓迎すべき心境の変化で、さしあたって次はどのゲームを買おうかなー?って楽しい悩みに耽る今日この頃です。
「何にしようかなー?」なポーズ…のつもりが、妙にくねくねしてしまいました。