8月になってから「Midjourney」っていう自動で絵を生成するAIが話題になってますね。
スラム高校出身のぼくは英語がどえらい苦手なもので、日本語化されてないサイトに登録して無償お試し版を使うのは果てしなく敷居が高いので、生成さえた作品をTwitterなどで楽しませてもらっている状態なんですが、これは絵画の歴史上、カメラが発明された依頼の大転換点になるかもしれない!ってコーフンしています。
以下、お絵描きは趣味の領域である私の狭い視野によるお話ですがよろしければお付き合いください。
とはいえ詳しい話をしすぎるとボロが出るのでサクッと語りますと、ダヴィンチさんとかが活躍してたルネサンスの時代、それまでタブーとされてた人体をスケッチしての写実的な神の姿を描くってのが解禁されるんですね。
「神の出来損ないの姿である人間をモデルに神を描くとは何事だ!」だったのに対して「だって神見たことねーし!神に似てる人間をモデルに描くしかないじゃん!」ってことだったようです。(3次元の人間をモデルに2次元に美男美女を表現するって、ぼくらがやってることってこの頃から基本変わってないですね!)
以後絵画の歴史は、いかに写実的に、もっといえば現実以上にリアルに描くことが良しとされてたわけです。
そんな中で登場したカメラは衝撃だったわけですよ。
今まで絵描きたちが目標として切磋琢磨してきたものを機械が自動でできるようになってしまったわけです。
多くの絵描きが絶望したといろんな本に描いてあります。
でも、絵の歴史は潰えなかったどころか、このカメラの発明をきっかけに百花繚乱なんでもありの時代に突入するわけです。
目に見えたものをそのまま映し出すことはカメラがやってしまうのであれば、目に映らないものを描こう!ってなったわけですね。
刻一刻と移りゆく光の変化を捉えようとした印象派。
カメラでは捉えられない多角的な視点を1つの画面に描くキュビズム。
輪郭線の中を埋めるためのものだった色彩を解放しようとしたフォービズム。
人の深層心理や夢の世界を描いたシュールレアリスム。
…と、それまで一本道だった絵画の歴史が、カメラの発明以後細かく枝分かれして、しかも互いにちょっとずつ影響を与えながらさらに別れたり進化したりしていくわけで、ぼくはそーいう近代絵画の歴史がとっても大好きです。
日本のアニメや漫画の画風だって、大人になっても未成熟であることを肯定される日本独特のネオテニーな文化の産物だと思ってます。
今回のAIが絵を描くようになったことも、最初は「絵描きの仕事がなくなる!?」という話が出るでしょうが、すぐに「じゃあ今後絵描きは何を描くべきか?」って話が盛り上がると思うんです。
そうやって試行錯誤して生まれてくる作品はどんなものになるのか、考えただけでワクワクです!
今の時代のことなので、そんなに年月はかからないと思うんですよ。
数年したら「こないだまでアングルの絵が素晴らしいって言ってたけど今はモネだな」みたいな、そんな大転換が起きてるかもしれません。
ぼくは趣味の絵描きとして、そんな変化を楽しみつつ自分もお絵描きを続けていきたいな〜と思っています。
よく考えたら、ラスコーの洞窟壁画の時代からやってる行為をやめられるわけがないんですよね!