今日はぼくがお絵描きの練習をしていて最近気づいたことを語ろうと思います。
サラリーマンが余暇に趣味で描いてて気づいたことですので、根拠や実用性などについては保証し兼ねますのであしからずですよ!
先日の厚塗りトークにもちょっと通じるのですが、おそらく今って、コッテリな厚塗りイラストは漫画やアニメなどの界隈では流行りじゃないのでしょうね。
とはいえ、じゃああっさり塗ればいいのかって言われたらそうでもなくって「一見サラッとしてるように見えるのだけど実は奥深い」みたいなのがいいのだろうなーと感じるんです。
すごい手数を踏んだ結果削ぎ落とされた、みたいな。
様々な構図やシチュエーション、配色計画の結果これ以外あり得ないんです!ってくらい計算し尽くされた洗練さを感じます。
なんかこう、磨き上げられた美しさがありますよね。
水墨画のようだな、すごいなって思います。
きっと日本のアートには「引き算」がDNAレベルで刻まれてるんでしょうね。
最近のアニメとか「よくこんな綺麗な絵が滑らかに動かせるな!?」って思います。
むっちゃ優雅で軽やかさがある絵が凄い勢いで動いてて、きっと関わってる方々の日々の弛まぬ努力の成果なんでしょうね。そう思うと感動してしまいます。
しかもきっと、そういう努力が楽しくて仕方ない方が、どんどんいろんなものを吸収して繰り返し練習して血肉にして、その結果さらっと描く、もしくはすごく時間がかかってるのにさもさらっと描きましたって感じで描いてるのでしょう。
本当にすごい。
対してぼくの絵は、泥臭い野暮ったさが滲み出てるように感じます。
こーいう部分をうまーく隠せるスキルが欲しいです。
前も書いたことがあるんですが、ぼくの絵って、そこそこ描けてるように見えて、ズラッと並ぶと埋没してしまう、華がないってことは自覚があって、でもそれはなぜなんだろう?って考えてたんですが、こういうことなのかもしれないですね。
あー
お花を摘みに…じゃなくてぼくだけの華を探したい、そのために、もっともっと絵の練習がしたいです。
ずっと絵を描いていたいです。
でも、時間がなかなかとれないんだよなぁ〜。
皆さん現代社会はしなきゃいけないことが多すぎるとおもいませんか?
これが命を脅かされないものが豊富な社会の代償なのでしょうが。
本音をベロンと吐露すると、保険とか貯蓄とかふるさと納税とか資産運用とか、ぼくもぉ全てが面倒くさいんですよねぇ。
そんなのいいから絵を描かせてくれよって思ってしまいます。
わかってます。
ダメな大人ですよね。
そんな大人になれないぼくは、最近小学生の頃に衝撃を受けたファイナルファンタジー4のファンアートとか描いてます。
あの頃は何も考えなくて自由だったなぁ。
天野義孝さんの絵の鎧とか、どこがどうなってるのかよくわからなくて、それでもひたすらにかっこよくて見よう見まねで描いてたもんですが、このキャラもやっと納得いく感じに描けるようになったな、なんて思いました。
ホロリ。
ポロリじゃなくてホロリです。
ほろほろ。