ルーティンで行動を自動化すると思考が自由になる

今週のお題「マイルーティン」

ぼくはことあるごとにブログで自分のルーティンについて書いているのですが、どうやらはてなさんはまたこの話が読みたいようですね?

いいでしょう、聞いておくれよマスター。

ぼくは1日の予定で30分刻みくらいで決めていて、毎日行うことは大体固定してしまって生きています。

考えなくても動けてしまうようになるのがぼくにとってはとても生きていきやすいし、他に考えないといけないことや考えたいことに時間を使えていいなと思っています。

パブロフの犬のように「この時間になったらこれしなきゃ」ってしとくのは自分のオートメーション化に近くて「面倒臭いな」って気持ちも生まれず、特に掃除や洗濯なんかとはものすごく相性がいいと思います。

もちろん、こんなことできるかどうかって個人差だと思うので、全人類できた方がいいとかそういう話ではなく、性格的にできる人はやったほうが楽ですよって物だとも思うんです。

逆にデメリットとしては、休日も同じルーティンを回したくて、でも必然的に回らないので体調を崩してしまう…なんてことがデフォルトです。

ぼくは何年も前から盆と正月は胃腸薬が必須です。

臨機応変な柔軟な対応ができないんですね。

災害とかで避難所暮らしになったら真っ先に役立たずになるのはぼくだと思っています。

こうやってルーティンだけをクルクルと回して生きていければ、実は人生はとっても楽なんじゃないか?と思ったりもします。

絵を描けないとイライラする習慣を抜いてしまえれば、おそらくぼくの精神的QOLは爆上がりなんですよね。

でも、絵を描かない生活を送るようになったら、絵を描かないりとは果たしてぼくと言えるのだろうか?

そもそも悩んだり考えたり、そーいうイレギュラーな事態が起こらない人生って人の生き方なんだろうか?

といった具合に、日々の活動をルーティン化して、目の前の行動についてあんまり頭を使わないで済むようにすると、ついついいろんなことを考えてしまうのでした。

というか、こーいう悩みは20代のうちくらいに消化しておくべきだったのではないか?

そんなことを考えながら、最近人体の練習ばっかりしてたせいで顔のアップが描けなくなってしまったので練習にどアップを描いてみました。