ぼくはテレビ番組はほとんど見ないのですが、ラジオはよく聞きます。
というわけでぼくはラジオリスナーと言えるかもしれません。
今週のお題「わたしは○○ナー」
そんなぼくがいつも通りラジオを聞いていると、目からウロコがギャンの盾くらい飛び散った話に遭遇したので今日は共有させていただきます。
何もメモをとってないのでうろ覚えだということをお許しください。
目上の人から自分達がした苦労を若い世代がしないことについて苦々しい顔をされることに気を遣ってしまう、という内容の相談がリスナーから寄せられたんですね。
ああ、わっかるぅー!ってなりますよね。
「俺たちが若い頃はこんな苦労をしたんだからお前らもやれ」ってやつですね。
心当たりがありすぎます。
でも、別に手を抜いてるわけじゃなくって「あなた方がやってた苦労は今やITを始めとした技術の進歩で苦労せずともできるようになってるんですよ、なんなら我々には今別の苦労が降り掛かってるんですけどね!」って話です。
それに対しての回答があまりにも見事だったんですね。
実は先人は2種類いる。
「苦労を改善しようと努力した人」と「改善なんて考えずただ苦労してた人」です。
前者は今の若者の姿をみて「お、やっとるやっとる」と思うだろうけど、後者は「俺らはあんなに苦労したのに楽しやがって」ってなるわけです。
そして、今若い世代が楽できるのは前者の人たちの努力のおかげで、こういう人たちがいないと技術革新は進まないわけで、若い世代はもっと楽になるよう努力して、次の世代に繋いでいけばいい。後者のような先人とは距離を置きましょう、というわけなんです。
「楽になるために努力する」という不思議な言葉で要約してしまいましたが、これはとっても納得です。
ぼくは今、職場では先人と若者の間の世代なので、どちらの気持ちも良くわかります。
ただ、急速にIT化が進んだ時代に若い世代だったので若干若い人の気持ちに寄ってる感じですが、泥臭い努力を積み上げてる先人方が居てくれてるのも分かるようになってきました。
あんまり努力せず美味しいとこだけ持ってってるおっさんがいることも見えてきました。
費用対効果を上げるためにいろんな工夫をしている若手も、ただ楽したいだけの若手(こちらの場合、どっちかというとその人のキャパが少ないんだろうなって最近思います)も、なんとなく見てとれるようになってきました。
ぼくはといえば、自分が楽しいと思える仕事は目一杯頑張って、あとは7割の出力で、トータルで周りからは「なんとなくできる人」と思われる戦略をとっていてそこそこ成功していると自己分析しています。
社会にはいろんな人がいて、足を引っ張ってくる人も中にはいますが、足を引っ張る人はおそらくそんな自覚はなくて「平等であろう」としてるんだろうなって思ってます。
だから、少々引っ張られてもしんどくない程度に頑張れる人が頑張って、頑張れないときはちょっと休んで、全体でちょっとずつ前に進めるのが良いんではないかなー?って思いながら日々働いています。