時差出勤をしていた頃、子どもを園に送る前後の時間で毎日庭掃除をしていました。
それまでは週末や気になった時にする程度だったので、庭がけっこう綺麗になりました。
まぁ掃除といっても箒で履いて回るだけですし、どうということのないサラリーマンの平凡な面積の家の庭なんですけどね。
ただ、こうやって一度習慣にしてしまうと、以来ちょっとした落ち葉なんかも気になるようになり、時差出勤制度がなくなってからも毎日…とまではいかないのですが1日おきくらいで子どもを園に送っていくまえに庭掃除をしていてて、我ながら良いことだなと感じています。
寒くなっては来ましたが、朝の空気は気持ちが良くて、箒を持ちながら清々しい気持ちになれて、レレレのレ〜とか歌いたくなる気持ちもよくわかります。
前回、絵筆を握らなくなってしまった話を書きましたが、毎日の生活の中で無理やり絵を描く時間を捻出してたわけで、「庭が汚れてるなー」とかゆっくり思う間もなかったなと思います。
もしかしたら他にも、絵を描く時間を作るために、雑にやってたことがあったかもしれません。
いや、あったことでしょう。
そして、そのことで不快な思いをさせた相手もいたかもしれません。
ほんと自分は不器用だなーと思います。
そんなことをぼーっと考えながら今朝も庭が綺麗になりました。
お寺なんかで掃除が修行の一環とされてるのは、こーやって自分と向き合う時間にちょうどいいからってことですね。
海外では業者が入るのに、日本の学校では掃除時間があって子ども達が掃除するのもそこから来てるのかもしれません。
そーいえば、ぼくが若い頃「トイレの神様」みたいなの流行ってましたよね。
確か、トイレを綺麗にすると女神様みたいにべっぴんさんになれるんでしたか。
ルッキズムなんて言葉が一般的になった現代ではべっぴんさんになれるだけでは頑張れないかもしれませんね。
あ、でもうる星やつらがリバイバルされて、あたるくんが令和のこの時代においても「結婚してあげる」って言葉でやる気を出せるから普遍的なことかもしれません。
いや、「皆が喜ぶご褒美」がなくなっただけで、べっぴんさんや結婚がご褒美の人もいれば、それ以外のことがご褒美な人もいるってことですね。
こうやってあちこち掃除するのが結構習慣になってきたおかげで、最近では便器の中も覗けるし、キッチンや風呂場の流しの中にも素手で手を突っ込むことに抵抗がなくなってきました。いいことだと思います。
そんなぼくへのご褒美に、いつか絵を描く時間と気力が復活したら嬉しいです。