新婚の頃、奥さんとルンルンしながら買ったクリスマスツリーが壊れました。
枝の先に光ファイバーが仕込んであって、普段は白いのですが電源を入れると青色を中心にさまざまな色に変化する幻想的なツリーで、なんというか、アダルティなクリスマスを演出してくれるツリーでした。
今は、もう、動かない。
…
まあ動かないものは仕方ないですし、かれこれ14年くらい使ってたのでそろそろ寿命なのかもしれません。
潔くお別れをして、新しいツリーを探すことにしました。
んで見つけたのがこちらです。
これ、お分かりいただけますでしょうか?
真上からバッサリ唐竹割した、後ろ側のないびんぼっちゃまのようなツリーなんですよ。
「頭いいなぁ〜!」って思いました。
従来のツリーは全方向から鑑賞できるものの、本当に全方向から鑑賞しようと思ったら部屋の真ん中に置かなければなりません。
でも、そんなスペースもあるわけもなく、結局部屋の片隅に置かれて、後ろ側はぐちゃっと潰れたり、なんならゴミの溜まるスポットになったりするわけですよ。
そーいった日本の住宅事情に配慮した、庶民のためのツリーだなぁって思います。
もしかしたら、ぼくらの住む家はどんどん狭くなってるのかもしれません。
そんな日本様式に絡めていうなら、このツリーは法隆寺の金堂釈迦三尊像にも似てるなと思います。
みなさん1度は日本史の教科書で見たことがあるかと思います。
ひょっとしたら落書きを楽しんだ方もいらっしゃるかもしれません。
聖徳太子の時代の仏像で、止利さんという、ぼくの名前によく似た人が作ったとされています。
この時代の仏像は、まだ横や後ろから見ることを想定しておらず、立体的でありながら平面的なんですよね。「平面性」っていうんだった気がします。
仏像をはじめとした彫刻は、もともと柱や壁の飾りとして彫られたものが独立したって経緯があるのですが、独立して全方向から見られることを想定して作られた作品は「ミロのヴィーナス」あたりからで、法隆寺金堂釈迦三尊像の造形は、ミロのヴィーナス以前の古代ギリシャ・ローマ文化がシルクロードを渡って仏教ナイズされ、遣唐使によって日本に渡ってきたっていう長い長い旅に思いを馳せると、自分の人生なんてほんの一瞬で、ぼくの「スポ少しんどい」「絵を描く時間がない」なんてものは、物凄くちっぽけな出来事だなぁ、なんて、そんなことを、我が家にやってきたニトリの省スペースツリーを見ながら思ったのでした。