渋滞すら憩いの時間になってしまった2022年

いやーなんか、平日夜に仕事から帰って翌朝出勤するまでの時間が毎日マラソンしてるような気分です。

「家はリラックスするための場所」ってのは、遠い異国の話なんですかねー。

ちょっと前に、職場の時差出勤制度がなくなってしまった話を書いたのですが、それまで、歩いたり自転車で子どもを園まで送ってから自分も自転車で出勤してたのが時間的に難しくなってしまいました。

というわけで、車での登園許可をもらって、子どもと一緒に車で朝出て、園を経由してそのまま出勤してるんですが、自転車通勤してた頃は「渋滞と無関係の通勤環境最高だ!」とか思ってたのが「渋滞の車中でぼんやりラジオ聞いてる時間って最高だな…」って思うようようになりました。

まあ、あまりに渋滞がすぎると遅刻しかけるのでまたハラハラしはじめるのですが、よもや自分が渋滞を癒しと感じるようになるとは思いもよりませんでした。

まあ確かに、自転車通勤ならではの、なるべく荷物はコンパクトにしないといけない、この時期は防寒対策しないと死ねる、急な雨には対応できない、といった諸々からも解放されてしまって、現代のテクノロジーが満載された車内でダラっとできるわけですから車も良いモンです。

というわけで、人間ってどんな環境に追いやられてもなんとか喜びを見出せるモンなのだなー、とかそんなことをぼんやりと考えながら最近は通勤しています。

どうせぼくのことなので、またいつか「車通勤面倒くさい!」とか思い出すでしょうし、その頃には子どもも小学生とかになってたらいいなと思います。

そんな今日この頃ですが、車といえば、夜ぼんやりと車を走らせていると、ほんとイルミネーションが綺麗ですね。

イルミネーションに限らず、桜とか花火とか、ぼくはわざわざそのために出かけていくのが実はあんまり好きではありません。

こうやって、たまたま通りかかったところで、思いがけず目にする桜や花火、イルミネーションってほんと生活の彩りで豊かだなぁって思うんです。不意打ちでもらえる感動って素敵じゃないですか。サプライズのプレゼントみたいで。

それに比べると、勇んで「いくぞ!」って人混みに突撃していくのって、そりゃ名所に行くわけですからまとめてドガっとは楽しめますけど、楽しむ以上に疲れてしまうっていうか、「駐車場の空きがないぞー」とか「車停めても行列だぞー」とか「子どものトイレがないぞー」とか「今のど乾いたとか言われても困るぞー」とか、そんなことばっかり気になって、20代の頃はもっと楽しく参加できてた記憶があるんですが、ぼくもう歳なんですかねぇ、家で音楽聴きながら読書したりお絵描きしたりしたいです。