互いの幸せのための国境、という考え方

このブログでは、たまに家が散らっていることを愚痴ってしまっていますが、別にぼくは奥さんのことが嫌なわけではありません。

ぼくは「今使わないものは全て視界から消したい国」の国民ですが「使いたい時に使いたいものが手元にないと嫌国」の女性と縁あって国際結婚しただけなのです。

なので、それぞれに領土となる部屋があり、リビングは緩衝地帯となることが理想だと思っているんです。

しかし、この緩衝地帯にも国によって使い方に違いがあるわけなんですね。

ぼくは「共用スペースなので私物は置きたくない」と思うのですが「共用スペースだからこそ皆が使うものはなんでも置いておく方が楽」という考え方もあるわけです。

よく本などでは「片付けをしない家族には、片付けてと口で言うよりあなたが片付けてる姿を見せましょう」とか「あなたが部屋を片付けるときっと家族も感謝してくれるはずです」とかありますが、文化が違うと「余計なことしないで」になるんですよね。

敬虔なカトリックの方に「仏教素晴らしいですよ!」て押し売りしに行くようなものです。

そこに子どもたちという第三勢力が加わるともはやカオスとなるわけで、仕方ないのでぼくは白旗をあげて自国に撤退して引きこもることで心の平和を保っているのです。

ぼくは靴すら玄関ではなく書斎に置いています。

家族単位ですらこんなに価値観が違うのですから、国家間で分かり合うなんて言うのは本当に大変なことだと思います。

「他人」というとなんだか寂しいですが、自分以外はみんな「他者」だってのはぼくは大事な考え方だと思ってます。

自分と他者としっかり分けるからこそ、冷静に相手と向き合えるし、適度な距離感も測れるようになる。距離をとった上で、冷静に相手の良いところや好きになれるところに気づいたりもできる。

だからリビングが落ち着かなくても奥さんと仲良くやっていけるのです。

なのでぼくは「絆」とか「チーム○○」とかそのての言葉が苦手なんだろうなぁと思います。